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2016年7月5日火曜日

文春写真館 あのとき、この一枚:ノーベル文学賞に非常に近かった安部公房


文春写真館 あのとき、この一枚:ノーベル文学賞に非常に近かった安部公房


 写真は昭和三十三年十一月撮影




安部公房は大正十三年(一九二四年)東京生まれ。本名きみふさ。翌年、父が満州医科大学の医師だった関係で、家族とともに満州にわたる。旧制中学を卒業後、帰国して旧制成城高校に入学。昭和十八年(一九四三年)、東京帝国大学医学部に入学するが、満州に戻り、終戦を迎える。昭和二十一年、再び帰国。昭和二十三年、東京大学医学部を卒業するが、医師国家試験は受けなかった。
 昭和二十六年、「壁―S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞。昭和三十七年に発表した「砂の女」や「燃えつきた地図」(昭和四十二年)は、国際的にも高く評価された。
(略)

 スウェーデンアカデミーのノーベル文学賞委員会のペール・ベストベリー委員長は、読売新聞のインタビューで、「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」(二〇一二年三月二十三日付)と述べている。



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