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2016年6月28日火曜日

安部公房のエッセイを読む会(第6回)の開催日が確定しましたのでおしらせします

安部公房のエッセイを読む会(第6回)の開催日時が決まりましたので、お知らせします。

開催の要領は次の通りです。

ご興味のある方は、もぐら通信社宛、下記のメールアドレスまでご連絡下さい。:s.karma@gmail.com

(1)日時:2016年8月28日(日)13:00~17:00
(2)場所:南大沢文化会館 第3会議室
(3)交通アクセス:京王線南大沢駅下車徒歩3分:http://www.hachiojibunka.or.jp/minami/
(4)参加費用:無料
(5)二次会:最寄駅近くの安い、居酒屋という迷路をさ迷います。割り勘です。いつも時間は2時間ほどです。

II 課題エッセイ
(1)『生の言葉』:全集第1巻483~434ページ
(2)『文芸時評』:全集第2巻51~53ページ
(3)『平和について』:全集第2巻54~58ページ

恐らくは、上記(1)と(2)に終始して、(3)は量も多いことから、そこまでは行かないのではないかと思います。それ故に[ ]に入れた次第です。

(1)のエッセイは、詩人から小説家になろうというときに描かれたエッセイ『牧神の笛』の先蹤なる作品です。このエッセイは事務局が事前に用意をしてお渡しします。

(2)の文芸時評で批評の対象になっている作品は、椎名麟三の『永遠なる序章』と花田清輝の『二つの世界』です。
後者は、昭和23年7月号の近代文学に発表されたもので、これは事務局がコピーを用意し、事前にお届けします。また、前者についても、事前に読んでおくことが望ましい。

椎名麟三は、安部公房の好きであった作家で、愛といえば此の作家だけだと思うという後年の発言のある通りの作家です。埴谷雄高は、安部公房は椎名麟三とハイデッガーから出発したと言っています。これらのテキストも、事務局で用意をし、事前にお届けします。

ご興味のある方は、もぐら通信社宛、下記のメールアドレスまでご連絡下さい。:s.karma@gmail.com


もぐら通信第46号(第二版)をお届けいたします

もぐら通信第46号に下記の訂正あり。お詫びして訂正をし、第二版をお届けいたします。

ダウンロードは、以下のURLにて:


もぐら通信
発行人 岩田英哉



1。36ページ:安部公房ー寺山修司の関係について論じるための最初の素描

訂正前:「昭和とはだったのか~寺山修司の歌が聞こえてくる~」
訂正後:「昭和とはだったのか~寺山修司の歌が聞こえてくる~」

2。39ページ:安部公房ー寺山修司の関係について論じるための最初の素描
訂正前:寺山修司の譬喩は、叙情の隠喩、対して、安部公房の譬喩は、叙事の隠喩
訂正後:寺山修司の譬喩は、叙情の隠喩、対して、安部公房の譬喩は、叙事の直喩

3。44ページ:第5回CAKE読書会報告:『無名詩集』のエッセイ「詩の運命」を読む
訂正前:其のまま小説家と読者の関係論

訂正後:其のまま小説家と小説を書くことと読者の関係論

2016年6月26日日曜日

もぐら通信第46号を発行しました


もぐら通信第46号を発行しました。


目次は次の通りです。

0 目次…page 2
1 ニュース&記録&掲示板…page 3
2 東鷹栖安部公房展開催…page 11
3 『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫~二人の交わした時間論~…page 16
4 私の本棚より:頭木弘樹著『絶望読書』を読む…page 28
5 安部公房ー寺山修司の関係について論じるための最初の素描…page 36
6 第5回CAKE読書会報告:『無名詩集』のエッセイ「詩の運命」を読む…page 40
7 言葉の眼 5:私たちは、何故TVを見なくなったのか?(中篇1)…page 50
8 連載物次回以降一覧…page 57 
(1)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(2)存在の中での師石川淳(連載第1回) 
(3)安部公房と成城高等学校(連載第5回):安部浅吉の論文
(4)存在とは何か~安部公房をより良く理解するために~(連載第5回):安部公房の汎神論的存在論
(5)リルケの『形象詩集』を読む(連載第13回):『守護天使』
(6)奉天の窓から日本の文化を眺める(6)
(7)言葉の眼5:私たちは、何故TVをみなくなったのか?:9。幕内弁当論:中篇2
9 編集後記…page 58
10 次号予告… page 58

今月もまた、あなたの巣穴で安部公房との楽しいひと時をお過ごし下さい。


もぐら通信
発行人

岩田英哉

青山真治が安部公房「榎本武揚」を演出、登場人物20人超を8人で演じる

青山真治が安部公房「榎本武揚」を演出、登場人物20人超を8人で演じる




以下同ウエッブサイトから:

「HOLEが、7月13日と14日に京都・アンダースローにて「榎本武揚」を上演する。
HOLEは京都造形芸術大映画学科に在籍中のメンバーによって構成されるプロデュースユニット。今回は彼らのプロデュース第2弾として、同大映画学科の学生と教員の混合チームが、2016年12月の本公演を目標に据えつつリーディング公演を行う。
演出を手がけるのは、映画監督で同大映画学科長の青山真治。上演作に選ばれたのは、安部公房が自作の小説を戯曲化した「榎本武揚」だ。江戸幕府の海軍副総裁を務めた榎本武揚が、五稜郭の戦いで敗れたあとに収容された監獄での日々が描かれる。青山真治は「この戯曲に予め備わった融通無碍な多孔性を、装飾のつけ入る隙のない上演形式で確認しておきたかった」と話し、本来は20人を超える登場人物を8人で演じ分ける試みを行う。」

2016年6月24日金曜日

映画『他人の顔』の映画評:More Than Meets the Eye: THE FACE OF ANOTHER

映画『他人の顔』の映画評:More Than Meets the Eye: THE FACE OF ANOTHER

“Hiroshi Teshigahara’s visually inventive film probes the identity crises of postwar Japan.”

Yosef Sayedという人が、映映画『他人の顔』の批評を昨日付けで下記のウエッブサイト、Fandorに寄稿しています。




この評者は、この他人の顔を造形した主人公と其の顔を、大東亜戦争敗戦後の日本の国の姿だとして、次のように述べています。:

While it is too limiting to treat the character as a cohesive metaphor for one thing or another, one might reasonably see Okuyama as an embodiment of Japan, specifically in light of the country’s postwar experience, reflecting an unwillingness to unmask itself and show the ugliness underneath the bandages. This was a nation reconstituting itself after a disastrous involvement in the Second World War, and presented with no choice but to adopt the face of another country. 

他方、同じ作品が、ヨーロッパに対して持っている批評性についても、次のように述べています。:

There is yet another “Another” to which the film refers, and which also refers us to the Second World War, in two scenes that show Okuyama and Hori meeting to discuss their radical experiment amidst the conviviality and song of a Munich-style bierkeller. A musical interlude shot in this German-inspired Tokyo bar, in which a young woman (Bibari Maeda) sings “Wo bist du, von gestern du?” [“Where are you, you from yesterday?”], seems not only to comment on Okuyama’s predicament, but also to wish for the return of an imagined, romantic bygone European culture. This is reinforced by Takemitsu’s memorable waltz, which forms the musical theme of the film. It is a surprising and ironic twist, which finds a grim counterpoint in the excerpts of a Hitler speech that can be heard during the parallel story, as the young woman flees a sexual attack.


十代後半、二十代初めの安部公房が、全集第1巻で哲学談義を親しく交わした友中埜肇宛の書簡にいうところによって明らかなように、そうして後年のJulie Brockによるインタビューでの発言でも尚明らかなように(『安部公房氏と語る』全集第28巻、478ページ下段から479ページ上段))[註1]、若い安部公房が戦後の世上の流行した実存主義が実存主義ならば、自分の実存主義はそんな軽薄なものではなく、従い実存主義なのでは全くなく、新象徴主義哲学ともいうべきものだと言った(『中埜肇宛書簡第10信』全集第1巻、270ページ下段)、その実存主義」については触れることがありません。

[註1]
晩年安部公房自身が、デカルト的思考と自分独自の実存主義に関する理解と仮面についての次の発言がある(『安部公房氏と語る』全集第28巻、478ページ下段から479ページ上段)。ジュリー・ブロックとのインタビュー。1989年、安部公房65歳。傍線筆者。

「ブロック 先生は非常に西洋的であるという説があるけれども、その理由の一つはアイデンディティのことを問題になさるからでしょう。片一方は「他人」であり、もう片一方は「顔」である、というような。
 フランス語でアイデンティティは「ジュ(私)」です。アイデンティティの問題を考えるとき、いつも「ジュ」が答えです。でも、先生の本を読んで、「ジュ」という答えがでてきませんでした。それで私は、数学のように方程式をつくれば、答えのXが現れると思いました。でも、そのような私の考え方すべてがちがうことに気づき、五年前から勉強を始めて、四年十ヶ月、「私」を探しつづけました。
安部 これは全然批評的な意見ではないんだけど、フランス人の場合、たとえば実存主義というような考え方をするのはわりに楽でしょう。そういう場合の原則というのは、「存在は本質に先行する」ということだけれども、実は「私」というのは本質なんですよ。そして、「仮面」が実存である。だから、常に実存が先行しなければ、それは観念論になってしまうということです。
ブロック それは、西洋的な考えにおいてですか。
安部 そうですね。だけど、これはどちらかというと、いわゆるカルテジアン(筆者註:「デカルト的な」の意味)の考え方に近いので、英米では蹴られる思考ですけどね。」

既に18歳の安部公房は、この晩年の発言にある認識に至っていたということがわかります。そうして、何故ジュリー・ブロックが「でも、先生の本を読んで、「ジュ」という答えがでて」来ないかという理由を、上の二つの表(マトリクス)は示しています。

ここには、「ジュ(私)」は有りません。何故ならば、それは、安部公房のいう通り、「実は「私」というのは本質」であるからです。何故ならば、本質とは、実体のあるものではなく、差異であり、関数だからです。

この、安部公房のいう「私」を、西洋の哲学用語で、subject(主観、主体、主辞、主語)と言うのです。

上に表にした、実体の無い、関係概念としての、安部公房のいう此のsubject(「ジュ(私)」)の概念を理解することは、安部公房の文学を理解するために大変大切です。「実は「私」というのは本質なんですよ。そして、「仮面」が実存である。だから、常に実存が先行しなければ、それは観念論になってしまうということです。」という安部公房の発言をよくお考え下さい。上の表は、次のところでダウンロードすることができます:https://ja.scribd.com/doc/266831849/安部公房の読者と作者-我と自我-主体と客体の関係-差異 」(『存在とは何か』もぐら通信第41号)


安部公房文学の備えている、ヨーロッパ近代文明への痛烈苛烈な批判については、上のインタビューでも、その意を汲めば論理的には全く明らかです。詳細の論は後日とします。Julie Brockという女性は、フランス人であるにもかかわらず、よくここまでの認識に至ったと思い、私は驚きます。

2016年6月23日木曜日

『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫(2) ~『薔薇刑』の写真「第三章 笑ふ時計あるひは怠惰な證人」の解釈~


『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫(2)
~『薔薇刑』の写真「第三章 笑ふ時計あるひは怠惰な證人」の解釈~

前回の『『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫~二人の交わした時間論について~』の続きを以下にお伝えします。(前回は:https://abekobosplace.blogspot.jp/2016/06/blog-post_6.html

時間を空間化する安部公房、即ち時間の中の出来事を函数関係に変換して時間を捨象して時間を空間化して其処に存在を求め(デジタル変換)、このことを言葉によって更に形象に変換(アナログ変換)した安部公房。

対して、連続する時間を言葉という呪術によって際断して点となし(三島由紀夫のデジタル変換)、時間を捨象し、言葉を用いて形象に変換する(アナログ変換)ことによって其処に存在する存在を求める三島由紀夫。誠に対照的な、裏返った関係にある、同体二顔のシャム双子のような二人です。

勿論、この場合、三島由紀夫のいう存在は、自己の肉体、純粋な筋肉から構成される自己の純粋な肉体のことです。安部公房の語彙を借りて言えば、三島由紀夫は、肉体を純粋空間にしたかったのです。そして、三島由紀夫の大好きな画家ワットー論を読むと、三島由紀夫は其の純粋空間としてある肉体を裏返しにして、その紅の美しい林檎の果肉の中にあって誰も外部からは見ることのできない芯を見せたかったことが判ります。そう書いてあります。これが、三島由紀夫の自刃の理由です。

要約すれば、安部公房は、隙間という空間の差異に純粋空間、即ち存在を求め、他方、三島由紀夫は時間の差異、時間の際断によって時間の隙間を設けることによって、そこに存在、即ち鍛錬されて純粋になった筋肉から構成される自己の肉体という純粋空間を求めたのです。

この要約を示す薔薇刑』(1963年、昭和38年刊)という写真集から「第三章 笑ふ時計あるひは怠惰な證人」題する一葉をとって、三島由紀夫が時間の中に、時間のない(リルケの言葉で言えば)純粋空間を希求したことの説明とし、同時に証明とします。


透明な筋肉より構成されて在る存在としての肉体を持つ三島由紀夫が、向かって右に持つのは柱時計で、針は正午を指しており、これが1日という時間の単位であれば真昼を、一年という時間の単位であれば真夏を示しています。
ともに、永遠の、従い時間の存在しない時間です。時計は、三島由紀夫の十代の詩の動機(モチーフ)の一つです。

夏は、特に真夏は、詩人の季節です。例を挙げると、『午後の曳航』の第1部が夏と題されているのは、そのためです。海の上で船のマストという詩人の高みに登って海を眺める職務を戴く二等航海士(一等航海士の職務ではない)が、従い、子供の英雄として描かれています。対して、第2部は冬と題されていて、陸(おか)に上がった二等航海士は詩人の地位を、実際の性愛を交わすために、自ら降りたのですから、不在の父親が実在の父親になってしまいますので、必然子供達に殺される運命にあるのです。

右手に持っている野球の球(ボール)もまた無時間を示します。この垂直方向は、十代の詩には、やはり塔の高みを表す詩人の位置として頻出しますが、小説においては模』(すかんぽう)という1938年(昭和13年)の作品に初出で、主人公秋彦がボールを垂直に投げ上げて、落ちてくるボールを素手に受け止めることで、青空や雲や空気という自然を口中に味わうことができる其のような方向としてあらわされています。

詩人の高み(垂直方向)で自然を口の中で味わうことができる方向、それが垂直方向なのです。この口中感覚ともいうべき、三島由紀夫独特の感覚は、前述した「歯噛み」や「噛みしめる」という、水平方向の時間の中で生きることを堪え忍ぶという口中感覚に通じており、同時に此の対照を、読者は思うべきでありましょう。

さて他方、同じボールは『模』の他にも後年の『鍵のかかる家』でも登場して、この場合は水平方向に投げられ受け取られる、それも素手ではなく野球のグローヴで受け取られるボールです。主人公が昼休みというやはり正午の(時間の停止した)時間に(「時計の長針と短針が出会うように、女の顔がときどき彼の顔の上に影を落とした」とあります)、それも鍵のかかる部屋へは行かぬ時に、同僚が素手ではなくグローヴをはめて、これは水平方向にキャッチボールをしている場面が始めと終わりに二つありますが、この水平方向のボールのやり取りを見て、主人公は次のように内心思うのです。

「球は直線や曲線をえがいて飛び、離れた一対のグローヴは、まるで球をその凹みに強く引き寄せるように見えた。(略)あの球が何か意味があったらあの球に何らかの意味がそなわっていたら、ああは行くまい。球は転がり落ち、どこの叢(くさむら)にも永遠に見つからないだろう。」(傍線筆者)

三島由紀夫を世に出した最初の短編『花ざかりの森』に書かれているように、このグローヴィの凹みは垂直方向に落ちる滝の下の滝壺とその周囲の土地柄、土地の形状であり、ここでは人間は永劫回帰する其の場所の形状なのです。これと同じ凹みが『豊饒の海』の第一巻『春の雪』に主人公松枝清顕が本多繁邦にいってふたりは再び会うことになるという永劫回帰の場所であるのです。

また、水平方向の球の(素手ではない)やり取りは、垂直方向の、それも一人での投げ上げとは異なり、意味がない、無意味であることが判ります。これに対してみれば、垂直方向という方向は、詩人の高みを十代の詩の世界以来保証し保障してくれるものであり、従い、有意味であるのです。

さらに、『鍵のかかる家』にある「時計の長針と短針が出会うように、女の顔がときどき彼の顔の上に影を落とした」という一行の此の直喩を見ると、時間の停止した永遠の正午とは、この小説の主人公の女のみならず、鍵のかかる部屋という(安部公房ならば)閉鎖空間と呼ぶであろう空間においても、一般的に女との性愛の実際の交換は、男である主人公の死を意味しているのです。上の『薔薇刑』に写る透明な筋肉より構成されて在る存在としての肉体を持つ三島由紀夫は、従い、その肉体の透明性から言っても、女と直接の性愛を交わさぬ死者としてあることを意味しています。

さて、最後に、足下の小さな椅子についてですが、これは作者自身の薔薇刑』初版に寄せた『細江英公序説』によれば「玩具の椅子」であり、更に玩具(おもちゃ)といえば、これも十代の少年時代の詩の世界では重要な素材であり動機であるのです。

玩具は、例えば12歳の詩、この年は三島由紀夫が本格的に詩人になろうと決心して、大いに精進をして詩を書き、詩人として成長した年ですが、この年に『HEKIGA』という、そのような意味で画期的な、詩集を出しております。この詩集中に『玩具(おもちや)』という詩があり(決定版全集第37巻122ページ)、これを読むと、玩具の持つ重要な意味がよくわかります。

またこれ以外にも同じ言葉の出て来る詩集『木葉角のうた』中『緑色の夜《LYRIC》』(全集第37巻、221ページ)、詩集『聖室からの詠唱』中『幼き日』(同巻268ページ)、『無題ノート』中『おるごる』(同巻242ページ)、『玩具箱』(同巻552ページ)に出てきます。

これらの詩の中で、三島由紀夫が此の玩具という言葉にどのような意味を割り当てたかは、これらの詩を読むとよくわかります。今この形象に深入りはしませんが、一言でいえば、この世とは異なる別世界にあるものが玩具なのです。曰く、お城、王様、兵隊、妖精、踊り、森、夜、海、船、船の中のホール[註2-1]等々。そうして、まことに安部公房とは対照的であることに、これらの玩具は、岩の割れ目に入っていると動かず、岩がなくなって割れ目がなくなると活発に生動し始めるのです。

[註2-1]
『港町の夜と夕べの歌』の第2連に出てくる椅子をご覧ください(決定版全集第37巻、622ページ)。



鍵のかかる家』でも、主人公が「鍵のかかる部屋」に向かう時には、電車や線路やトンネルが玩具のように小さくなることが語られています。それは、やはり「鍵のかかる部屋」は別世界であり、女性と実際に性愛を交わせば主人公が死ぬ場所であるからなのです。安部公房ならば、割れ目に入ることが存在に棲むことであり、現世から見れば人間の死であるが、しかし真に生きることであるのに対して、三島由紀夫の場合には、玩具が登場すると、主人公の意識も、割れ目である此の現実を抜け出して別世界へと赴き、即ち上に述べたような玩具のトンネルという通路を通って死の空間、即ち時間の無い空間へと入って行くのです。この議論の詳細は稿を改めます。

さて、上掲の写真に話を戻しますと、そのような玩具の椅子の上で、三島由紀夫は透明な純粋な筋肉からなる存在と化して、両手に時間を捨象した、無時間の形象である正午を指す柱時計と、垂直方向に素手で投げられ受け止められる野球のボールという此れも時間の存在しない方向を示す形象を持ち、二等航海士として船員帽を被って笑う三島由紀夫がいるということになります。時計はしっかりと右手に抱え込み、左手のボールは捻りを加えて回転させて垂直方向に飛ばそうという様子です。

また、靴もタイツも、やはり意味のないものは、この垂直方向と玩具の椅子の上に存在するるという詩人の死と性愛の世界には、なく、即ち鍵のかかる家』の例を再々度引けば、「『半ドンの正午のところをまんなかに、上半身は人間で、下半身は魚だ。俺も魚の部分で、思いきり泳いでいけないという法はないわけだな』[註2-2]」とあるように、そうしてこう言う一行の前に更に最初に「『土曜日は人魚だ』」と簡潔に主人公が隠喩で断定するように、この『薔薇刑』での此の、白いタイツをはいている二等航海士の船員は、下半身が性的不能者なのであり、そのように「『半ドンの正午のところをまんなかに、上半身は人間で、下半身は魚』なのであり、この船員も魚の下半身で『思いきり泳いでいけないという法はないわけ』なのです。即ち、鍵のかかる部屋で現実の女性と性愛を交わし、性交の場である絨毯に死の香水を振りまいてから性交する桐子という死の世界の女と、不能の下半身を使って空想の(しかし現実の)世界で交わるというのです。

この桐子が主人公との性交の前に必ず其の場の周囲に絨毯に撒く匂いの強い香水は、12歳の詩『父親』で(決定版全集第37巻、95ページ)、あのペルシャ製の絨毯、即ち少年三島由紀夫の好きだったアラビアンナイトの物語の中の空飛ぶ絨毯、即ち空を飛翔して(イカロスとしての)詩人の高みを保証し保障してくれる絨毯の上に、父親に詩作を全否定されて壊されたインク壺のインクの撒き散らされた其のインクの黒い色と其の匂いなのです。

すでに此の12歳の詩でも、三島由紀夫は、インク壺を床に叩きつけた父親をではなく、父親に其の身を謂わば二つに引き裂かれた当の子供を一人称に入れ替えて、自分の命を救い、また子供ながら此の酷(むご)い父親に対する関係を倫理的に懸命に維持することを精一杯の幼い力で行っております。これが、不在の父親を歌った最初の詩です。短編小説では、同じ主題を書いたのは『酸模』ということになりましょう。

そのように、三島由紀夫が、非道な父親と詩人の自分自身とを交換して此の詩を書いたことを考えると、このペルシャ製の空飛ぶ絨毯ですら、12歳の三島由紀夫の、自分自身の命を救うための詩的創造であったのかも知れないと思うほどです。平岡家の平岡権威公少年の勉強部屋の床には、果たして絨毯が敷いてあったのでしょうか?それも、ペルシャ製の絨毯が。

[註2-2]
三島由紀夫がどのように此の二重鉤括弧の記号に意味を割り当てて使ったかは、既に三島由紀夫の十代の詩を読み解く17:イカロス感覚2:記号と意識(1)』(一般論:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html)と『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11:イカロス感覚2:記号と意識(7)』(個別『』論:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_86.html)をご覧ください。


さて、最後に此の『薔薇刑』の此の写真に、三島由紀夫自身が付した短い説明文の全体を引用して、お伝えします。以上のことごとが、38歳の三島由紀夫の言葉になれば、次のような言葉になるのです。

この写真では「怠惰なモデルは一轉して、笑者であり證人であることを強ひられる。彼はまづ大きな柱時計とテニスのボールを持つて、玩具の椅子の上に立ち、人間生活全般に対する嘲笑の権利を獲得する。彼は動かない時計の永劫の時間に亘つて、ただ見るための存在になり、天井にひびく自分の甲高い声と嘲笑と、じんわりとした苦痛とにかはるがはる苛まれながら、人間の快楽や苦痛の、もつとも露はな状況に立ちあはされる。しかし彼はただ嗤ひ、ただ見るだけで、何もしないのである。この懲罰はやがて襲つて来るが、その前に彼は、一時ほしいままな変容の世界へ解放される。それが第四章 さまざまな瀆聖である。」

2016年6月14日火曜日

第5回CAKE読書会出席ご希望の方へ:簡単な予習のお願い

第5回CAKE読書会出席ご希望の方へ:簡単な予習のお願い

今読書会で読みます『無名詩集』の掉尾を飾る詩と詩人論『詩の運命をざっと見て、次のことが読書会での話題になると思いますので、事前に目を通しておいてくださるとありがたく思います。平日は仕事がおありで、大変でありましょうから、無理をしない程度で結構です。

1。詩と詩人(意識と無意識):安部公房20歳の論文:全集第1巻104ページから117ページ
この論文が、前提となって、その延長上に、詩の運命が書かれていますので、事前に目をざっとで良いので通しておいて下さい。わからないところ、気になるところは印をつけておいて下さい。当日参照程度で必要とすることがあると思います。

2。化石:全集第1巻208ページ
この詩を読んでおいて下さい。ここに化石という言葉が出てきます。詩の運命の265ページ上段の同じ「存在の化石」という言葉を理解するためです。安部公房の存在概念を理解することができます。

(後と後年の小説では、石の眼という小説があり、戯曲では、石の語る日という戯曲があります。この石という動機(モチーフ)と形象の源泉はリルケです(『飾り彫りのある石柱の歌』もぐら通信第38号掲載)が、リルケの詩を傍らに見ながら、本題は安部公房のエッセイと詩に絞りましょう。)

この化石という言葉は、この詩を読みますと、詩と詩人の冒頭に掲げられた詩にも関係があることがわかります。

つまり、天体、古代(太古)、存在と非存在、沈黙、夜、言葉、融合、天体(太陽と星)、虚空と無、化石の中での鳥、永遠の飛翔などなど。これは当日吟味します。

3。カルティエ・ブレッソン宛書簡:全集第28巻416ページ
このページにあるブレッソン宛に書いた、65歳の安部公房の詩を読んでおいて下さい。短いものですが、上の22歳の化石の詩に全く変わらずに通じているのです。

沈黙の中を永遠に飛翔する、やはり、鳥が出てきます。また、融合という(化石では)漢語で言われていた言葉が、溶け合うという大和言葉として出てきます。その他、存在と非存在などなど。

4。カルティエ・ブレッソン作品によせて:全集第1巻414ページ
この短文も読んでおいて下さい。上の3のブレッソン宛の書簡の詩の意味が、安部公房によって解説されています。この二つの詩を合わせ鏡にして読みますと、安部公房という人間と其のものの考え方がよくわかります。

その他:
こうしてみますと、『無名詩集』は、やはり重要な詩集でした。この重要な詩集の掉尾を飾る此のエッセイまでに至ると、やはり安部公房の哲学的なものの考え方について理解をすることが、読者として必要になると思いましたので、私が哲学とは何かという単純至極の話をします。このエッセイの冒頭にノエシス・ノエマという用語で出てくるフッサールの現象学も哲学の一種です。ヨーロッパの哲学用語を普通の日本語で整理整頓して、白人種アングロサクソン族の論理を手際よく、私たち日本人に無理なく、分かり易くお伝えします。資料は事務局が用意をします。時間は15分です。

運営の順序としては、いつも通りに輪読をして、段落ごとに読み解き、それに応じて必要な詩や他の安部公房全集収録のテキストを参照しながら、全体を見渡し、まとめるという順序で参りたいと思います。

この間、出席ご希望の方は、追伸1の理由で松蔵のスイートポテトを用意する必要から、6月16日24:00までに、下記のメール・アドレス宛にご連絡下さい:

s.karma@molecom.org

当該テキストのない方には、当方にてDropboxの専用フォルダーを用意して資料をお渡しします。


追伸1
事務局で、安部公房の好物であった(多分大好物)松蔵のスイートポテトを用意しますので、紅茶やコーヒーをご持参下さい。

楽しくやりたいと思います。

追伸2:

上でお伝えした予習のことですが、余り重たく考えずに、ご自分の時間の許す限りで結構です。強い意志を発動せずに、脱力しての範囲で結構です。


もぐら通信社
発行人 岩田英哉

「新潮社写真部のネガ庫から」開催―50人の作家の素顔:安部公房を写した写真も展示

「新潮社写真部のネガ庫から」開催――50人の作家の素顔


 新潮社は6月14日から7月31日まで、創業120周年を記念した写真展「新潮社写真部のネガ庫から カメラが見た作家の素顔」を開催します。

「会場:la kagū 2F sōko
 会期:2016年6月14日(火)から7月31日(日)
 入場料:無料 
 開館時間:11:00~20:00(会期中無休)
(イベント開催時等、一部、ご観覧いただけない時間帯がございます。詳細は
 新着情報でお知らせします)
 主催:新潮社
 協力:la kagū」
新潮社のホームページより:

新潮社の写真部は、週刊誌のほか、各種刊行物に合わせてネガ・フィルム15万2300本に及ぶ写真を撮影、保管しているとのことから、ネガ庫に保管されている写真の中から、50人の作家の写真が選ばれている。世間でよく見られる写真ではなく、「家族との団らん風景、飲み屋での至福の表情、入浴シーンなど、この写真展でしか見られないものが多数ある」とのことです。

展示作家:
阿川佐和子/阿川弘之/安部公房/有吉佐和子/池波正太郎/伊丹十三/五木寛之/井上ひさし/井上靖/井伏鱒二/江國香織/遠藤周作/大江健三郎/小澤征爾/開高健/角田光代/川上弘美/川端康成/北杜夫/小林秀雄/沢木耕太郎/塩野七生/司馬遼太郎/杉浦日向子/瀬戸内寂聴/武満徹/田辺聖子/谷崎潤一郎/檀一雄/筒井康隆/ドナルド・キーン/中上健次/野坂昭如/林真理子/藤沢周平/星新一/松本清張/三島由紀夫/水上勉/宮部みゆき/向田邦子/村上春樹/山口瞳/山崎豊子/山本周五郎/養老孟司/吉村昭/吉本隆明/吉本ばなな/吉行淳之介(以上50名、50音順)


会場のla kagū(ラカグ)は、地下鉄東西線、神楽坂下車、新潮社隣。東京都新宿区、矢来町67:http://www.lakagu.com

2016年6月12日日曜日

安部公房のエッセイを読む会(第5回)通称CAKEの開催日をお知らせします

安部公房のエッセイを読む会(第5回)通称CAKEの開催日をお知らせします。

第5回は、次の要領にて開催致します。

ご興味のある方は、もぐら通信社宛、下記のメールアドレスまでご連絡下さい。:s.karma@gmail.com

(1)日時:2016年6月19日(日)13:00~17:00
(2)場所:南大沢文化会館 第1会議室
(3)交通アクセス:京王線南大沢駅下車徒歩3分:http://www.hachiojibunka.or.jp/minami/
(4)参加費用:無料
(5)二次会:最寄駅近くの安い、居酒屋という迷路をさ迷います。これも割り勘です。

安部公房全集第1巻『無名詩集』の掉尾を飾るエッセイ『詩の運命』と、『生の言葉』です。

ご興味のある方は、もぐら通信社宛、下記のメールアドレスまでご連絡下さい。:s.karma@gmail.com

P.S.
CAKE stands for Club of Abe Kobo's Essays


2016年6月11日土曜日

『箱男』で読み解く未来のテクノロジー:安部公房『箱男』とVR

『箱男』で読み解く未来のテクノロジー

2016年7月の増刊号(第23号)として、雑誌WIRED」に、川田十夢という筆者による見開き2ページの連載の第1回を、安部公房が飾りました。

この文章は、メディア論、媒体論です。この着眼と『箱男』という小説は、本来実に相性が良いものです。この面白い筆者については、次のWikiがあります。AR三兄弟の長男ということです。この3兄弟もまたVRの創造です。:https://ja.wikipedia.org/wiki/AR三兄弟

また、この筆者の仮想現実についての考え方の一端は、次のウエッブページで知ることができます。:

さて、この寄稿は、題して『VRと「箱男」』。VRとは、文章の中を読みますと、Virtual Reality(仮想現実)の意味です。

見開きの左のページにあるこの安部公房の絵は、他に画家の名前がないので、この筆者の自作でありましょう。




以下、出版社のホームページの文章より抜粋をしてお伝えします。(http://wired.jp/magazine/vol_23/

Way Passed Future
川田十夢の「とっくの未来」 文学から読み解くテクノロジー
開発者・川田十夢が、過去の文学作品から「ジャンル分けされる前の未来」を読み解く新連載。川田が第1回目に選んだのは、安部公房の小説「箱男」。1973年に書かれたこの小説に隠された、VRの未来を知るための手がかりとは?

また、同誌の出だしと最初と最後の段落を引用して、お伝えします。

「メディアの実質は、合法的なのぞき趣味にすぎない。新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、インターネット。のぞき穴から一方的に放たれるイメージは、われわれの想像力を満たし、もしくは時間ごと奪い、結果として一時の恍惚を提供する。成熟したメディアは、やがてモラルを求められ、本来の輝きを失ってゆく。現在の混沌を報じられなくなったメディアなど、色彩をインクルードできないプログラム言語など、退屈を寂しいと直訳するしかないわれわれには無価値である。」

「箱男が、箱の内側に何かを書き込むとき、皮膚の内側に刺青を入れるような恍惚があったに違いない。夢のような体験も、二度と見たくない悪夢も、もれなく書き込める余白が必要だ。ただ用意すればいいという話ではない。余白を十分に確保しておくこと、書き込まれたことを単なる落書きと軽視しないこと、それが魅力あるメディアとしてのVRにつながること。安部公房の『箱男』から、新しく読み取れたこと。」

アマゾンで買うこともできます。Kindle版は540円、紙媒体は630円:





旭川市東鷹栖支所の安部公房常設展が今日の北海道新聞に掲載さる

旭川市東鷹栖支所の安部公房常設展が今日の北海道新聞に掲載さる

先日もお伝えした東鷹栖支所の安部公房常設展が今日の北海道新聞に掲載され、報道されました。



2016年6月6日月曜日

もぐら通信社のウエッブサイトを開設しました

もぐら通信社のウエッブサイトを開設しました。


メールのお問い合わせ窓口は、


となります。

Moleは英語でもぐら、Comはcommunicationの縮約です。もぐら通信です。

ご覧の通り、未熟で貧しいサイトです。これから時間をかけて育ててゆくつもりです。

もぐら通信社
発行人 岩田英哉





『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫~二人の交わした時間論について~


『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫
~二人の交わした時間論について~

三島由紀夫が最後の作品『豊饒の海』の第1巻「春の雪」の第18章で、安部公房を死体となって地表に横たわっているもぐらの子供として登場させたことは、既に『三島由紀夫が安部公房に贈った別れの挨拶~『春の雪』の中のもぐら~』(もぐら通信第30号:https://abekobosplace.blogspot.com/2015/03/blog-post_7.html))に書いた通りです。

第一時限の論理学の講義がおわり、血洗いの池を囲む森の小径を歩きながら、二人はその話(筆者註:恋と世の終末と死と権力と金の話)をしたのであるが、第二時限がはじまる時が迫り、今来た道を引返した。秋の森の下道には、目に立つさまざまのものが落ちていた。湿って重なり合い茶いろの葉脈が際立った夥(おびただ)しい落葉、団栗(どんぐり)、青いままにはじけて腐った栗、煙草の吸殻、......その間に、ねじけて、白っぽい、それがいかにも病的に白っぽい毛の固まりを見つけて、本多は立止まって瞳を凝らした。幼い土竜(もぐら)の屍(しかばね)だとわかったときに、清顕も蹲(うずく)まって、朝の光を頭上の梢がみちびくままに、黙ってこの屍をつぶさに眺めた。
 白く見えたのは、仰向きに死んでいる胸のあたりの毛だけが白いのが目を射たのである。全身は濡れそぼった天鵞絨(ビロード)の黒さで、小さな分別くさい掌(てのひら)の白い皺(しわ)には泥がいっぱいついていた。足掻(あが)いて、皺に喰い込んだ泥だとわかる。嘴(くちばし)のような尖った口が仰(あお)のいて裏側が見えるので、二本の精妙な門歯の内側に、柔らかな薔薇色の口腔がひらいていた。

第1巻『春の雪』は、「文芸雑誌『新潮』に、先ず1965年(昭和40年)9月号から1967年(昭和42年)1月号にかけて『春の雪』が連載され」ました(https://ja.wikipedia.org/wiki/豊饒の海)。

他方この間、三島由紀夫との関係では、安部公房は、

1。1966年2月1日に、三島由紀夫との対談「二十世紀の文学」で語り、
2。1966年5月2日に、三島由紀夫自作の映画『憂国』について「映画「憂国」のはらむ問題」と題したエッセイ(これ自体既に三島由紀夫論ともいうべき論になっており、既にこの時三島由紀夫の死を予見しております)を書き、
3。1967年5月1日には、当時の毛沢東率いる中国共産党による文化大革命と呼んだ暴力的な文化破壊に対して抗議した座談会「われわれはなぜ声明を出したかー芸術は政治の道具かー」で、川端康成、石川淳、三島由紀夫らと出席、座談にて意見を述べ、
4。1967年9月30日:小説『燃えつきた地図』を発表し、

という、このような関係になっています。

安部公房の読者ならば、『燃えつきた地図』に三島由紀夫が登場するのか、と言って驚くことでしょう。それが、登場するのです。姿を変えて、それも上等に「言葉によって存在する」ことが、三島由紀夫と共有したことの一つだと死後に語る安部公房らしく、その語彙を使って、三島由紀夫を真似て、しかし其の語彙をすっかり自己のものと成して、『春の雪』の第18章にもぐらを登場させたお礼を、三島由紀夫にしているのです。これは、なんとまあ、贅沢な、このような肝胆相照らした作家同士の高級な、遊びの世界という以外にはありません。

私がこのことに気づいたのは、ナンシー・K・シールズ著『安部公房の劇場』(安保大有訳、新潮社刊)によってでした。この本を読みますと、このアメリカ人の女性は、本当によく安部公房を理解していることがわかります。それゆえに、安部公房担当の編集者新田忠言「安部の友情は長続きしない」という、安部公房が「わたしに反感を抱くようになった時、あらかじめ心構えを作っておけるように、わたしのためを思って言ってくれたのである」が、しかし、この言葉にもかかわらず、「そういう事態は起こるはずもなかった」し、「わたしたちは友人になり、ずっと友人でありつづけた」理由なのでありましょう。(同著、212ページ)

この女性は実に絶妙な筆の捌(さば)きで、まづ安部公房がリルケに如何に「深い感銘を受けてい」るかを語り、シュールレアリズムの画家ルネ・マグリットの絵『ゴルコンダ』を語り、安部公房の「芝居では、男が魚や鞄になる場合のよう」な「荒涼たる現実の中に不条理な遊び心」のあるのを語り、安部公房の「位相幾何学に寄せる愛着」を語り、この順序で語り継いで、その後に、安部公房の芝居が観客に与える効果として、『燃えつきた地図』の次の一節を引用するのです。(同著、22ページ)

「……暦に出ていないある日、地図にのっていない何処かで、ふと目を覚ましたような感じ……この充足を、どうしても脱走と呼びたいのなら、勝手に呼ぶがいい……海賊になって、未知の大海めざして帆をあげるとき、あるいは盗賊が、盗賊になって、無人の沙漠や、森林や、都会の底へ、身をひそめるとき、彼等もおそらく、どこかで一度は、この点になった自分をくぐり抜けたに相違ないのだ……」(全集第21巻、227ページ)

海、未知、未知の大海、出帆、海賊、盗賊、森林、これらの語彙は、三島由紀夫が十代で創造した多量の詩の世界の根幹を形成する語彙なのです。これらは、二十代以降の小説家としての三島由紀夫の世界の言葉に、そのままなっていて、小説家と戯曲家としての三島由紀夫の世界を形成しました。

点、この言葉もまた、三島由紀夫の語彙です。三島由紀夫は非常に理詰めで、哲学的にものを考えた人間で、時間とは何かを自問自答した際に、そこに存在する自分もまた、言葉との関係では点である、即ちアナログではなく、デジタルに存在するのだと、時間は前後しないと、時間を際断すると、そういう意味ではこの一点において安部公房の超越論「~以前」を理解し、共有していた、恐らくは唯一の人間です。[註1]

[註1]
三島由紀夫は遅くとも既に12歳の時には超越論を自己のものとなしております。12歳の時の詩『硝子窓』に、その論理と感情が歌われています。なんという早熟な、余りに早熟な才能でしょう。

この詩については、私の詩のブログ『詩文楽』にて「三島由紀夫の十代の詩を読み解く31:12歳の超越論 『窓硝子』」と題して詳細に論じましたので、ご興味のある方は、これをご覧ください。超越論(Transzendentaltheorie)という論理がどのようなものであるかが、よくわかる筈です。しかしまあ、12歳の小学生の子供に、大人が此れを教わるとは。:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html


三島由紀夫の此の考え方は最晩年のエッセイ『太陽と鉄』に、言葉と自分の関係を率直に語るところで、時間をどう考えるかということとして、次のように述べられております。

引用の冒頭の「前に述べた私の定義」とは、引用以前にも書かれた、三島由紀夫による言葉の定義を指しています:

「前に述べた私の定義を思い出してもらいたい。私は言葉の本質的な機能とは、「絶対」を待つ間(ま)の永い空白を、あたかも白い長い帯に刺繍を施すように、書くことによって一瞬一瞬「終わらせて」ゆく呪術だと定義した(略)」

「前に述べた私の定義」とは、次のような定義です:

「終わらせる、という力が、よしそれも亦仮構であるにせよ、言葉には明らかに備わっていた。死刑囚の書く長たらしい手記は、およそ人間の耐えることの限界を超えた永い待機の期間を、刻々、言葉の力で終わらせようとする咒術なのだ。」

そうして、点といえば、安部公房の読者ならば、『S・カルマ氏の犯罪』の最後の情景で、ユルバン教授が駱駝に乗って砂漠へと出立するときに、聖書では駱駝も針の穴を通ることができるという話をドクトルと交わすことを思い出すでしょう。

このようにこれらのことを、上の註の引用も含めて考えますと、三島由紀夫の言葉は、誠に安部公房と共有するものがあります。

言葉を理詰めで考え抜いたこと、言葉は機能であるという認識、言葉との関係では点としてある時間とその連続、空白、待機、死刑囚(安部公房の演技概念ニュートラルの極限を体現した究極の役者の姿)、言葉による表現とは咒術または呪術であるという考え等々。

また、上の引用の次に「溺れ死にかけている人間」という、これも三島由紀夫の十代の詩に登場し、その後も最晩年の写真集『薔薇刑』にまで被写体として登場するほどに、三島由紀夫の本質的な語彙である溺死体に関する語彙も出てきます。これも三島由紀夫が安部公房に語った自分の文学の本質を表す言葉なのです。

さて、その三島由紀夫の愛用する語彙を巧みに取り入れて、安部公房は此の箇所を書いたということになります。この箇所を含み、この箇所の前後から、安部公房は三島由紀夫との会話や議論を相当に生かしております。この時期、安部公房が相当に親しく三島由紀夫と言葉を交わしていたことは、上記の年表からもお解りでしょう。

それが証拠に、上に引用した箇所の後に、数行を置いて、更に段落を新たにして、次の行が始まるのです:

「だが、この純粋時間が覚醒だとすれば、すぐまた夢のつづきが、立ちふさがる。料金所、短い人工の覚醒のあとの、長い夢のつづき。すぐに折り返して、こんどは上り線に乗り入れる。しかし、どういうわけか、もうさっきのようには、うまく気分が乗ってくれないのだ。(略)」

「純粋時間」が存在するかという問いに答えるべく二人は議論をしたのです。この問いは、当然のことながら、三島由紀夫の立てた問いに相違なく、何故ならば、これに対して安部公房は、リルケと同じ時間の存在しない純粋空間を主張したことであろうからです。二人はリルケを共有していました。他方、三島由紀夫の一生涯愛誦し、愛読したヘルダーリンも、安部公房は共有しておりました。これは全集第1巻に収録の『〈僕は今こうやって〉』の最後を読むとよくわかります。

三島由紀夫がハイデッガーの『存在と時間』を愛読したには、このように、理由があるのです。何故ならば、この哲学書は、時間の中に存在を求めたからです。対して、安部公房は、空間の中に存在を求めました。もしハイデッガーの著書が『存在と空間』であれば、これは、三島由紀夫のではなく、安部公房の、一生の愛読書になっていたでしょう。

上の引用の「料金所」とは、勿論、位相幾何学的な上位接続点に他なりません。それゆえに、「覚醒」の後に「すぐまた夢のつづきが、立ちふさがる」のです。このように、ナンシー・シールズの引用した箇所が、三島由紀夫の時間認識であるならば、安部公房は今度は段落を改めて、其れを裏返しにして、私はそうは思っていないのだと書くのです。それが、「料金所」を潜(くぐ)る以前の、高速道路を走行するという流れる時間という、三島由紀夫の考える時間の中での「短い人工の覚醒」と、其の後に「料金所」を「折り返し」た後のメビウスの環の安部公房の時間である「長い夢のつづき」の意味なのです。

上の複数の引用が時間論であることは、これらの引用の直前の文章からもよく判ります:

「……ぼくはもう、体の芯まで、とっぷりと騒音の中にひたされて、何も聞こえず、かえって静寂のなかにいるようだ……目にうつるものも、ただ空にまっすぐ突き刺さっている、コンクリートの道路だけ……いや、これは道路ではなくて、流れる時間の帯である……ぼくは見ているのではなく、ただ時間を感じているだけなのだ……」

「流れる時間の帯」もまた、三島由紀夫の隠喩に他なりません。上に引用した言葉の定義で、三島由紀夫が「私は言葉の本質的な機能とは、「絶対」を待つ間(ま)の永い空白を、あたかも白い長い帯に刺繍を施すように、書くことによって一瞬一瞬「終わらせて」ゆく呪術だと定義した」(傍線筆者)ということを実際に本人の口から、安部公房は聞いたのです。それゆえに、「いや、これは道路ではなくて、流れる時間の帯である」と書いたのです。

時間を空間化する安部公房、即ち時間の中の出来事を函数関係に変換して時間を捨象して時間を空間化して其処に存在を求め(デジタル変換)、このことを言葉によって更に形象に変換(アナログ変換)した安部公房。

対して、連続する時間を言葉という呪術によって際断して点となし(三島由紀夫のデジタル変換)、時間を捨象し、言葉を用いて形象に変換する(アナログ変換)ことによって其処に存在する存在を求める三島由紀夫。誠に対照的な、裏返った関係にある、同体二顔のシャム双子のような二人です。

勿論、この場合、三島由紀夫のいう存在は、自己の肉体、純粋な筋肉から構成される自己の純粋な肉体のことです。安部公房の語彙を借りて言えば、三島由紀夫は、肉体を純粋空間にしたかったのです。そして、三島由紀夫の大好きな画家ワットー論を読むと、三島由紀夫は其の純粋空間としてある肉体を裏返しにして、その紅の美しい林檎の果肉の中にあって誰も外部からは見ることのできない芯を見せたかったことが判ります。そう書いてあります。これが、三島由紀夫の自刃の理由です。

要約すれば、安部公房は、隙間という空間の差異に純粋空間、即ち存在を求め、他方、三島由紀夫は時間の差異、時間の際断によって時間の隙間を設けることによって、そこに存在、即ち鍛錬されて純粋になった筋肉から構成される自己の肉体という純粋空間を求めたのです。

最後に、二人の共有した事と言葉についてまとめると次のようになります。

言葉を理詰めで考え抜いたこと、言葉は機能であるという認識(言語機能論)、言葉との関係では点としてある時間とその連続、他方帯として流れる時間、空白、待機、死刑囚(安部公房の演技概念ニュートラルの極限を体現した人間の究極の姿)、言葉による表現とは咒術または呪術であるという考え、そして時間と空間が差異であるという哲学的な認識と理解等々。

三島由紀夫が生理的に、如何に空間的な隙間、即ち時間のない隙間を嫌悪したかのよくわかる十代の詩があります。それは、15歳の時に書いた『石切場』という詩です。安部公房が『方舟さくら丸』という打ち捨てられた廃墟である採石場という時間のない空間を舞台にして小説を書いたのとは、全く此処でも裏返しの二人です。全部でAからDの4章から成る詩ですが、その最後のDの章を以下に引用します:

「殿堂といふものを人は見たゞらうか。
 生きた墓地(はかち)といふものを
 人は見たゞらうか。
 天に向き 陽をおそれず
 ぎりぎりな いやらしい生を噛み
 わたしは厭悪する
 わたしは避ける
 わなゝいて立ち止まる
 石切場 石群のその前に。」
(決定版三島由紀夫全集第37巻、566ページ)

「生を噛み」とある此の「生」を目的語とした「噛む」という言葉は、十代の三島由紀夫の詩の中に此れもある、三島由紀夫の文学にとって重要な言葉の一つです。生とは時間と共に、時間を含み、流れ変化してやまない「白い長い帯」、それに堪えて生きなければならない苦しみに耐えることを、15歳の少年平岡公威は「生を噛み」と、その詩の中で、何かに堪える時には、三島由紀夫はいつも対象を「噛む」と表現するのです。この用語法と、時間の中の生を生きる時に垂直方向を意識とした時の謂わば「口中感覚」は、遅くとも文字になって書かれた13歳の時の短編小説『酸模』(すかんぽ)以来、終生変わりませんでした。

最後の市ヶ谷の、あの「癩王のテラス」での檄文の中にも、三島由紀夫の生の最後の最後まで、この言葉は出て参ります。

われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を瀆してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」(傍線筆者)

また、引用はしませんが、『鴉の絵巻』という詩というIからIIIの章からなる詩のII章にも、石切場が出て来ます。(決定版三島由紀夫全集第37巻、745ページ)これを語り始めると、三島由紀夫論になってしまいます。

最後の話を逸脱で括るのも、安部公房らしくて良いと思いますので、こんな話で終わりに致します。

私が縁あって三島由紀夫の世界に足を踏み入れてから1年半になりますが、この間三島由紀夫のエッセイを読んで直ぐに知ったことの一つは、なるほど此れがエッセイかという驚きでした。つまり、三島由紀夫という人間は、率直に、嘘偽りなく、自分という人間について、今までどういう考えで生きてきたか、それを振り返ってそうではいけないと思ったので、今はこう考えるし、これからはこのように生きようと思うということを実に誠実に直截に語っているのです。上で『太陽と鉄』から引用した文章にある通りの嘘偽りのない率直な文章です。

このようなエッセイを読んで初めて、私は、これがエッセイならば、安部公房のエッセイが実は普通のエッセイではないことに気がつきました。

安部公房のエッセイは、散文詩だったのです。

そうであれば、その論理展開を辿ることは難しいでしょう。安部公房の世界の読者からも、三島由紀夫の世界の読者からも、安部公房のエッセイは全く解らないという声を、この間、聞くことがありました。散文詩であれば、それは、そのつもりになって読まなければ、普通のエッセイだと思って文章に当たっても、それは解らないでしょう。

そう思って安部公房全集を辿ってみると、この、エッセイと散文詩の一緒に同居した、しかし安部公房らしく整理されて書かれている、嚆矢となる文章が、『没落の書』です。(全集第1巻、140~143ページ)

このエッセイは、二つの部分からなっています。前半は、文字通りのエッセイであり、論考であり、いわゆる散文です。後半は、『概念の古塔』と題した散文詩です。前半は19世紀という世紀の、この歴史的時間の100年と詩人という主観のあり方に対する批判、批評であり、後半は、時間を捨象した存在論と言語機能論を書いた散文詩、20歳の安部公房の註釈にある言葉で言えば「存在論的現象批判、並びにその構造」です。この安部公房の存在論と、これと一体となっている言語機能論は、1970年代の安部公房スタジオで若い役者たちに何度も伝えたという言葉、即ち言葉に意味はないのだという言語機能論が既に形象化されて、詩人と「概念の古塔」の位置関係として、そうして「概念の古塔」の内部にある概念の「完全な空虚」として、明瞭に書かれております。ここに書かれた形象は、その後のすべての作品に通じております。

さて、この後半の書き方で、終生安部公房はエッセイと世間が称する文章を書いたことになります。

逸脱極まれり。