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2015年1月4日日曜日

安部公房の『箱男』と三島由紀夫の『天人五衰』の共通の主題について


安部公房の『箱男』と三島由紀夫の『天人五衰』の共通の主題について

年末年始にかけて、或る機縁のあったことから、三島由紀夫の『豊饒の海』のうちの小説をふたつ、ひとつは第三巻の『暁の寺』を、もうひとつは第四巻の『天人五衰』を、この順序で読みました。

後者の小説を読みながら、それから実は前者即ち『暁の寺』もそうなのですが、安部公房の『箱男』を幾つもの箇所で連想し、思い出しました。このふたつの作品は、大変よく似ております。

その例のひとつとして、『豊饒の海』という連作の小説の主人公、というよりは、物語の筋の運搬役を担っている本多という男に覗きという趣味のあることを挙げ れば、安部公房の読者には一度きに伝わるでしょう。そうして、主人公にとっては其の行為が、作者にとってはその行為を書くということが、『箱男』の主人公と作者同様に、人間の深い性的な衝動や、思考論理の展開や、その両極端な思考論理の展開から生まれる豊かな譬喩の創造に結びついています。

話を『天人五衰』に絞りますと、この小説の前半の表立った主人公が、少年であって、しかも孤児であるという設定は、やはり安部公房の世界にそのまま通じてお ります。そうして、『豊饒の海』というという此の一連の作品の最後にこのような舞台と配役の設定をしたというところに、三島由紀夫というひとの長年の思うところ、即ち最初の『花ざかりの森』では年配者か老年の言葉を(或いはその文体で)語り、最後の『天人五衰』では、10代の(孤児である)少年を語るというのは、実に自分の人生を、この小説の中のどこかに書いてあったように、人生を終わりから始めた人間にふさわしいものだと思いました。

安部公房の場合は、その位相幾何学の好きであったことから、最初に最後のことを、冒頭に結末を考えるということは、どの小説をとっても其の構造を備えている ことは、言うまでもありませんし、その構造が、時間の中で展開する話の筋としては循環構造になっているということも、言うまでもないことでしょう。

この、三島由紀夫の場合の思考と人生観(人生設計)から生まれる循環構造は、『豊饒の海』という連作の場合は、転生輪廻というインドの思想のこととして描かれております。
そうして、やはり、三島由紀夫にとっての人生は、言葉の中にあったことは間違いが(当たり前ですが)ありません。安部公房が自分で言っている言葉を使えば、「言葉による存在」となるということ、或いは「言葉によって存在する」ということを、三島由紀夫とは共有していたという安部公房の言葉(安部公房全集第 24巻、176ページ上段)の通りの小説でした。三島由紀夫の他の小説についても同様であることは言うまでもありません。

また、『天人五衰』の少年が海が好きだということ、その延々と続く海と少年の意識する自分自身との関係を読むと、修辞を巧みにするためというよりも、やはり 三島由紀夫は海が好きだったのだなあと思いました。1970年代の安部公房は、港が好きだったという山口果林の証言がありますので、このことも二人に共通 しているところです。また、上で言及した『花ざかりの森』との関係で言えば、やはりこの10代の作品でも海が出て参ることも、物事の照応 (correspondence)と対称性(synmetry)のあり方を大切にした此の作家らしいと思いました。

こうして考えて参りますと、この転生輪廻の思想、というよりも時間の中に起きる変化を構造化したいという此の意志(安部公房ならば其の小説・戯曲を通じて時間の空間化をするのだといったこと、即ち時間の変化を函数関係の変化に変換することと同じです)は、『豊饒の海』ではインド人の思想という衣裳をまとって おりますが、既にやはり『花ざかりの森』にある、三島由紀夫の同じ意志だということがわかります。

そうして、最後に至って、本多という主人公が60年振りで奈良の月修寺の老尼を訪ね、この老尼が俗名で呼ばれていた若き時代に愛した松枝清顕のことを尋ねたときに、老尼が 全く事実として松枝清顕のことは、その名前は勿論のこと、一切記憶にないという場面を読んで、これは見事な結末だと思いました。そうして、その言葉を聞いて、本多という主人公にも自分の人生が夢のように思われるということも。

岡山典弘著『三島由紀夫外伝』を読んで知った、 安部公房と三島由紀夫の共有する主題19のうちの一つが、本物と贋物という主題です。(三島由紀夫が安部公房と共有した19の主題については、次のURL へ:http://abekobosplace.blogspot.jp/2014/11/blog-post_80.html

上に挙げたふたつの小説にも、贋物という文字が出てまいります。

特に今回の『天人五衰』の贋物という文字の使い方をみて知ったことは、三島由紀夫のこの『豊饒の海』という作品を貫く主題が転生輪廻であるならば、しかし、 その裏に隠れた更に本当の主題は、この転生輪廻という思想、その人間の人生が其の生死を超えて時間の中で循環するというインド人の思想、そうしてそれはインド人の思想というよりも、三島由紀夫が10代の『花ざかりの森』以来惹かれてやまなかったこの思想の論理自体が、本物なのだろうか贋物なのだろうかという問いに答えることがその主題であろうと思いました。

そうして、最後は、夏の庭の中で、すべてが夢のように終わる。

この夢のように終わるその最後の場面が庭であるということ、その主題が、忘却であるということ、記憶を喪うということ、この老尼の、平然たる自己喪失であることに、わたしは安部公房のすべての主人公の結末と同じ結末をみるのです。

安部公房の場合には、この自己喪失は常に閉鎖空間からの脱出として描かれ、同時に其れは主人公の、ほとんど死を意味しております。

そうして、安部公房の場合には、三島由紀夫のこの夏の庭は、余白と呼ばれ、この作家の言語論の考えとしては、主人公の自己忘却は、述語部と呼ばれる余白で、いつも起きる。これは、安部公房はリルケに学んだことですが、他方、三島由紀夫も『花ざかりの森』を読みますと、10代でリルケを読んでいることが判ります ので、この二人の共有する詩人として、哲学者のニーチェの他に、この詩人のいることは特筆すべきことの一つだと思います。何故ならば、リルケは純粋空間を歌い、純粋という言葉の意味は、時間のないという意味であり、それは生者のこの世から見れば、死者の世界ということのできる空間、自己が存在になる空間であるからです。

さて、この老尼の、そして本多という登場人物の自己喪失、記憶喪失というのは、大東亜戦争後の日本の国民の、戦前からの日本の歴史を忘れたという愚かな現実に対しての、この作家による、小説という虚構(本物の贋物)を創造して、その現実にどのように対処 したかを示していると思います。

安部公房の最初期の小説、『けものたちは故郷をめざす』という孤児の少年の主人公 が、日本という本国、日本という故郷へ満洲から帰還しようとする物語は、そのような日本人たちの軽薄と偽善を嫌う詩人や批評家や読者に読まれ、迎えられた 作品ですが、当時のこれらのひとたちの批評の言葉を読みますと、その軽佻浮薄で愚かな現実に抗して、それを克服する可能性を見た小説だという評言を複数み ることができます。つまり、人間の最初の、そもそもの子供に戻り、少年に戻って考え直すことの豊かさ、裸の人間になって、全てを御破算(と安部公房は言い ましたが)にして一切を考える其の正直さをこの小説は教えたというのです。それは、その通りでありましょう。

そうして、自己喪失という結末は、三島由紀夫の『豊饒の海』第四巻の『天人五衰』のみならず、安部公房のすべての小説の主人公の結末でもあります。

さて、三島由紀夫のこの老尼の自己喪失は、安部公房もそう描いたように、他方そのような戦後の時代とは無関係に、或いは全く離れて、人間のそもそものあり方 として描いたところが、やはり三島由紀夫の素晴しさだと、わたしは思います。「言葉による存在」となるということ、或いは「言葉によって存在する」。そうでなければ、時代を超えて、世紀を跨いで、二人の作家の小説が読まれる筈はありません。

三島由紀夫がこの連作の4作 品の全体に『豊饒の海』という名前をつけたということは、やはり人間のこの在り方は、『天人五衰』の前半に延々と書かれる海のようであり、そうして、それ は豊饒であるという意味は、そのように、自己忘却によって生まれるその世界が夢か現(うつつ)かわからないということ、そして、その機微を自分の人生に於いて知ること、認識するということが豊饒ということなのだという意味なのではないでしょうか。

この『豊饒の海』という連作の全体の題名を最初に思ったときには、既に『天人五衰』も完成していたのでしょう。自分の人生の設計図と同じように。

これもまた、全く安部公房の態度(と、18歳で『問題下降に拠る肯定の批判』を書いた10代の安部公房ならばいうことでしょう)に通っております。

『奔馬』(新潮社文庫)の巻末に、村松剛の解説がついていて、これを読みますと、三島由紀夫から電話がかかってきて、この四部作の構想を語ったときに、村松が第四巻の話を尋ねると、三島由紀夫は「第四部は未来だよ」と回答したとあります。このとき、昭和39年、西暦1964年、東京オリンピック開催の歳です。『新潮』への連載開始が昭和40年、西暦1965年9月です。

安部公房がそのエッセイ『ミリタリィ・ルック』を書いた1968年8月1日のあと2ヶ月後に、三島由紀夫は楯の会を結成して、軍服を身にまといます。

さて、『暁の寺』『豊饒の海』と、このふたつを巻を読んで参り、また安部公房との関係で、上の電話での三島由紀夫の即答(と見えます)を考えますと、この未来とは、明らかに現在のことであることが、わたしにはよく知られるのです。

この現在に現在する未来を、安部公房は、シュールレアリスムの影響ということもできませようが、しかしそれとは離れて考えても、時間をどのように処理する か、変化を止めて構造的な構築物を製作するかということを考えると、この現在に現在する未来を「明日の新聞」と呼んで、いつも物語の最後に、ほとんどの場合 、主人公の死とともに今日配達される新聞として書いているからです。

「第四部は未来だよ」と答えた三島由紀夫は、このとき既に自己喪失、即ち自分の死を思っていたということになります。この「明日の新聞」を幾多の小説や戯曲の中で(『友達』)登場させるときには、安部公房も自分の死を思っていたのです。

そうして、「第四部は未来だよ」という意味は、同時に、安部公房の世界から眺めますと、主人公の自己忘却、自己喪失、即ちほんとんど死とというべき状態にあっ て、それを契機に、その主人公は最初の出発地点に戻るというのが、安部公房の小説のプロットなのです。そうして、これを未来永劫に繰り返すのです。この永 劫回帰は、言うまでもなく此の言葉から、10代に安部公房が、リルケと同様に耽読したニーチェの『ツァラトゥストラ』の受容であることは、言うまでもあり ません。安部公房の場合は、リルケに学んだ自己忘却と合わせて、統合されていて、そうして、いつも物語の最後に現れるわけですけれども。

さて、自己忘却というこの最後の情景を念頭に置きますと、この第四部の最後の一行は永劫回帰をするのだという意味であると思います。即ち、第四部の最後の一行は、第一部の『春の雪』の最初の一行に永劫回帰するということになります。

さうしてみると、確かに『春の雪』の第一行は、次のようにあって、記憶の不鮮明であることの一文であり、この記憶のあり方の話(これも過去の記憶)であり、それも日露戦争という、戦争についての過去の記憶がないということの、即ち自己のあり方も含めたその国の戦争の歴史の忘却又は喪失の、しかも、それも幼児の時の記憶の喪失の話で始まるのです。この後者の、即ち幼児の記憶の喪失、これはこのまま、『天人五衰』の主役である安永透が孤児であるということに深く関係のある設定であると思います。

「学校で日露戦役の話が出たとき、松枝清顕は、もっとも親しい友だちの本多繁邦に、そのときのことをよくおぼえているかときいてみたが、繁邦の記憶もあいまいで、提灯行列を見に門まで連れて出られたことを、かすかにおぼえているだけであった。」

将来まとめるための『安部公房と三島由紀夫』という論考のための備忘として、ここに以上の文章を残しておくことに致します。

追記:
今『奔馬』を読んでいますが、この第三巻を読みますと、神風連の乱のこと、また当時の本多の生きた時代のこと、前者は幕末明治の動乱期、後者は当時の戦前の日本の国情を書いて いて、しかしこれはもう敗戦後の日本の痛烈な批判であり、しかし他方、その言葉は、よく均衡を保った美的な言語表現に変換されていて、これは素晴らしいことです。飯沼勲の話 は、もう盾の会となんらかわらないように思われる。この主人公の純粋を思ったこと、反乱軍の人選に当たっての人心の試し方、その人選に当たってひとりひとりに掛けた言葉、特に最後者は其のまま、三島由紀夫がどんな声でどんな言葉を口にして、これはと思った其の若者を盾の会の隊員になるように誘ったたかまで、よくわかります。その箇所を読んでいて、わたしには、恰も三島由紀夫が盾の会への入会を誘うその若者の頬にかかる三島由紀夫の息までが感じられるかの如くに思われました。

また、巻末の村松剛の解説を読むと、『堤中納言物語』に、当時この原本が発見されたので、『豊饒の海』は着想を得ているとあって、やはりそうかと思いました。第三巻『暁の寺』の月光姫(ジン・ジャン)は、この平安朝の短編集の中の『虫めづる姫君』だと、その最初の描写に触れて思った直観は正しかった。

 追記2:
第一巻の『春の雪』の最後の註に、上の『堤中納言物語』のこととともに、この連作の総体の題名である『豊饒の海』という題名が、「月の海の一つのラテン名なるMare Foecunditatisの邦訳である。」とありました。

これを読んで直ぐに思ったことは、これは全体の名前は月の海でありますから、それは月ということから、lunaticということから、lunatic seaであり、従い当然に気違いの、狂気の海という意味であり、更に従い、その狂気の海の一部が此の個別の海としての豊饒の海であるmare foecunditatisであるならば、この豊饒の海という名前は、第四巻の『天人五衰』の最後の一行にある夏の庭そのものであらうということでした。

何故ならば、それは庭であって母屋ではなく、主体(subject)ではなく客体(object)であり、主体に従属する一部(安部公房ならば従属文たる余白と呼んだ無償の空間)であるからであり、従い月の海ではなく、豊饒の海であるからです。即ち、後者は前者の中にある、狂気の海の中に豊饒の海があるのです。

そうして、大切なことは、月とは其れ自体では光を発せずにいて、夜に太陽の光を受けて、その光を反射して輝く天体であるということです。この天体は、またしても、地球の従属物であり、客体であり、太陽の陽に対して陰である其のような小さな天体です。

更に言えば、この天体の陰のものとしての在り方は、この小説4作を通じての主人公である松枝清顕の考え方と生き方、即ち純粋、即ち全く無名の存在として歴史にその身を没して其の名も身も喪い(自己忘却、自己喪失)、それ故に歴史に蘇る、他者として蘇る其の陰画のこころを表しているからです。第二巻の『奔馬』の第19章では、「清顕において、本当に一回的な(アインマーリヒ)なものは、美だけだったのだ。その余のものは、たしかに蘇りを必要とし、転生を 希求[註]したのだ。清顕において叶えられなかったもの、彼にすべての負数の形で(下線部筆者)しか賦与されていなかったもの......」と言われている松枝清顕の在り方です。

これは実際に三島由紀夫という言語藝術家の願ってやまなかった人生ではないでしょうか。

[註]
希求の希の字は、原文はねがうと訓ずる、驥から馬偏をとった文字。

この人間の典型の志と其のありかたについては、安部公房との関係で論ずべきことが多々有りますが、ここまでとしてこの追記の中に筆を留めることに致します。

追記3:
今更に『豊饒の海』の第一巻『春の雪』を読み始めたところ、第36章の最初に、松枝清顕と綾倉聡子との次の会話がある。これは、このまま第四巻『天人五衰』の結末と、全4巻の総称が『豊饒の海』であるという意味をそのまま示し、そのままそれを明かしている。

「「何を仰言るの、清様。罪もあまり重くなれば、やさしい心を押し潰してしまいます。そうならぬうちに、あと何度お目にかかれるか、数えていたほうがましでございます」
 「君はのちのちすべてを忘れる決心がついているんだね」
 「ええ。どういう形でか、それはまだわかりませんけれど。私たちの歩いている道は、道ではなくて桟橋ですから、どこかでそれが終わって、海がはじまるのは仕方がございませんわ」」

この桟橋という橋は、わたしには第三巻『奔馬』の第9章の「神風連史話 山尾綱紀著」の「その三 昇天」に加々見十郎の辞世に歌う天の浮橋の橋と同義に思われる。

「やまとなる神のみかげに存(ながら)へて
   今日よりのぼる天のうき橋」

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