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2014年11月13日木曜日

安部公房の心の穴


安部公房の心の穴


ナンシー・S・ハーディン(シールズ)との対談で、安部公房は、その旺盛な創作活動の由って来るところは何かと訊かれて、次のように答えています。1973年、安部公房49歳

「創造力はある意味での欠乏から発生するのではないかという気がします。いわば「油切れ」と同じようなものからね。それはネガティヴな圧力であり、一種の空虚であるわけです。もっと具体的に説明するために、二人の作家の名前を挙げましょう。エドガー・アラン・ポーとフランツ・カフカです。二人とも同じネガティヴな感覚を共有していたようにぼくには思われるのです。これは、ぼく自身の問題だけではなく、むしろ他人が何を望んでいたかという問題です。だれしも心の中にからっぽの穴が空いている。そして、できるなら、ぼくはその穴を埋めたいのです」(『安部公房との対話』ナンシー・S ・ハーディン。全集第24巻、468ページ。)

「ぼく自身の問題だけではなく、むしろ他人が何を望んでいたかという問題」という安部公房の考えは、これはこのまま10代で確立した安部公房の自己と世界の関係の、即ち外部と内部の交換の、そして作家と読者の関係の本質を言っているのです。これは、19歳のときに書いた『〈僕は今こうやって〉』以来、終生変わることがありませんでした。

さて、トーマス・マンも、安部公房と全く同じことを言っています。世の人は才能があるというが、実はさうではないのだ、才能とは、欠落なのだ、と。この欠落を言い変えて、etwas Unmenschliches(非人間的なもの)と言っています。

安部公房が詩人から小説家にならうと努力したときに書いた『牧神の笛』でも、リルケに同じものを発見して苦しむ安部公房がおります。あんなに10代で溺れるようにして読んだ素晴らしい詩作品を書いたこの詩人が、実に冷酷な人間であることに気づいて、驚くのです。そして、詩人から小説家(散文家)になるために、その冷酷な人非人の人間になろうとする決心を、このエッセイの最後で披露しています。それも、自己再帰的に、自分の血を啜(すする)半獣半神の、牧神のような生き物として。つまり、詩人のまま小説家になろうという決意なのです。リルケに倣って。そして、この試みが成功するには、日本共産党員の時代を経験しなければなりませんでした。これについては、来年1月号に『安部公房と共産主義』と題してお話しします。

さて、この「欠乏」は、安部公房の場合は、「それはネガティヴな圧力であり、一種の空虚であるわけです」と言っていることからわかる通り、これは『S・カルマ氏の犯罪』で、主人公の持っている胸の陰圧として形象化されたものですし、後年の『方舟さくら丸』では、何でも吸い込んで処分してしまう便器として、物語の中心の座を占めて、登場するものです。

安部公房のこのブラックホールのような便器への執着が、何故なのか、何に由来するのかということは、『もぐら感覚15:便器』(もぐら通信第13号)で論じましたので、お読み下さい。

しかし、それ以前には、安部公房は自分にしっくりとくるこの空虚、心の中に空いているからっぽの穴は、やはりリルケの『涙の壺』に同じそれを見て、数理・論理的にであるばかりではなく、自分自身の生理的な実感としても、この詩を理解していたのです。この詩については、このブログの次のページで訳し、解釈と鑑賞をつけましたのでお読み下さい。:http://abekobosplace.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html

この詩を読むと、『S・カルマ氏の犯罪』の後の『デンドロカカリヤ』(1952年12月)も、その前の『赤い繭』(1950年12月)も、安部公房の同じ生理感覚と論理の上に成り立っていることがわかります。

そして、そればかりではなく、論理と生理的感覚としては、それ以外のすべての作品に、安部公房の変形の論理と一緒に、この空虚のあることがわかります。

更に、安部公房は、冒頭の引用の後、この対談で次のように言っています。

「しかし、一度書き出してしまったら、不思議なことに、書いている作品自体が主導権を握り、ぼくはそれに従うしかない。もはや自分が書いているものを支配できなくなるんです。ある段階を超えてしまうと、自分ではコントロールできなくなる。」

これは、この空虚を持ち、知っている言語藝術家だけが覚える言語の自己増殖です。同じ経験を、トーマス・マンは繰り返し述べています。言語組織が、自己の意思を持って増殖し、有機体を完成して行く。

他方、普通の言語使用者は、言語を制禦(コントロール)できると思っていて、そのように言葉を使用することをよしとするのです。これが、普通の世間に棲む人間たちの世界での言語についての考え方です。法律も、この考え方でできている。しかし、安部公房の主人公たちは皆、法律の外に、無名の、世間に未登録の人間として生きています。

冒頭に引いたこの対談は、これ以外にも実に贅沢に安部公房の主題と、安部公房自身による解説がされていて、安部公房の読者には欠かすことのできない資料の一つであると思います。

何故か、リルケについて、その周辺のことについて語り始めると、安部公房は誰にも言わない本当のことを語り始めるのです。リルケについて語るところ、散文家としての自分にとってのリルケの意義について語るところを読むと、安部公房がリルケをどうやって「否定的媒介」として考えて、自分が散文家になったのかが、よくわかる論理を、別の率直な言葉で語っております。(全集第24巻、473から474ページ。また、476ページ上段)

また、その他にも、小説や戯曲を書くことや舞台をつくることは、時間の空間化であること、函数関係で表現することであること、革命と安部公房の理解した実存について、その覚悟について、『箱男』に挿入した8枚の写真について等々、この『箱男』刊行後の安部公房の考えをふんだんに、実に贅沢に、安部公房は率直に開陳しています。

戦時中に読んだ哲学者の名前として、ヤスパース、ハイデッガー、フッサールの名前を挙げています。しかし、ニーチェの名前を挙げていない。ということは、それほどニーチェは、安部公房にとって深く理解をした大切な哲学者であったのです。10代の、哲学談義をした親しき友、中埜肇宛の書簡を読めば、安部公房がどんなにニーチェを、これもリルケと同じ位に、溺れるように読んだかが判ります。ニーチェは、何よりも、安部公房生涯唯一のプロット、閉鎖空間からの脱出と帰還の永劫回帰の覚悟を教えてくれた哲学者であるからです。

このインタビュアーは、『安部公房の劇場 Fake Fish The Theater of Kobo Abe』という、安部公房をよく理解した人間の書く素晴らしい本を書いておりますが、この対談でも、安部公房の持つ純粋数学への嗜好を自分は知っていることを伝えて、安部公房の本音を引き出しています。

安部公房は、このインタビュアーに心をゆるし、思わず、

「これは普通人に話したりしないのですが、ぼくは満洲生まれで、そこは冬がとてもきびしいところでした。」と始めて、自分にとってエドガー・アラン・ポーがどんなに大切な、最初に物語の本質を教えてくれた作家であるかを述べています(全集第24巻、475ページ下段)。ルイス・キャロルは、ポーの次に好きだとも、言っております。

一読をお奨めします。









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