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2014年11月10日月曜日

認識と表現の間:安部公房による文体論(1954年)


認識と表現の間:安部公房による文体論(1954年)


『認識と表現のあいだ』というエッセイがある(安部公房全集第4巻、329ページ)。

これは、1954年8月10日に『文学評論』という雑誌に発表されたもの。

これを読むと、もし書くとして、そうして将来書いてみようと思っておりますが、『安部公房の文章読本』の一部となり得るエッセイです。

安部公房は、このとき共産党員でありましたから、マルクス主義の考え方と、自分の実際の小説の書き方をどう考えているかということを、ここで明らかに示しております。

何故自分は書き出しにこんなに苦労するのか、『飢餓同盟』という小説を書くのに、この原稿用紙280枚の小説に1000枚を消費したという話を始めて、このエッセイを書き出して、本題に入るという体裁をとっております。

ここで例題として書いている小説が『沼』という小説で、この話に登場する沼のことを読むと、これは『笑う月』所収の「シャボン玉の皮」でも話している、中学生の頃、奉天の郊外にあった、ゴミ捨て場として使われていた何でも飲み込んでしまう底なし沼の形象であり、その後も様々に形を変えて、『方舟さくら丸』では、同様に何でも吸い込んで処分をしてくれる便器の形象に変形して、これもやはりこの小説の中心の座を占める沼です。安部公房のこの形象については、『もぐら感覚15:便器』(もぐら通信第13号)で論じましたので、お読み下さい。

この沼以外にも、このときの安部公房が小説を書く上で何をどう考えていたのかを知る、いい資料のひとつです。

このエッセイで安部公房が論じていることのひとつで、着目すべきことのひとつは、「感性的認識の論理学(美学)を確立しなければならない」と言っていることです。この考えは、終生安部公房の念頭にあった、言語表現についての考えであって、安部公房が散文の美について考え、これを実現しようとしていたことがわかります。これは、やはり、詩人としての安部公房の考えていることなのです。


『密会』を発表したあとのインテビューで、「この小説はやはり、僕の眼で書いたのではなく、僕が自分の眼にはしたくない眼でこの世の中を書いたということになる。ある意味で、「もの凄く美しく地獄を書こうとした」(傍線筆者)とも言えるし、また、ユートピアを裏から書いたとも言える」と言っております(『裏からみたユートピア』。全集第24巻、503ページ)。このとき1977年、安部公房53歳。

来年1月号(第29号)に『安部公房と共産主義』という題で論考を発表する予定ですが、それ以降の連載の中で、この『認識と表現のあいだ』という文体論についても解析をし、論ずる予定です。

さて、この詳細を論ずることは、ここではなく、また上述の機会にもぐら通信の紙面に譲るとして、このエッセイの掲載された『文学評論』の写真を見つけましたので、お届けします。


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