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2014年5月12日月曜日

時代は、ニュートラル



時代は、ニュートラル

安部公房の演劇の中心概念に、ニュートラルという概念があります。

これは、10代にリルケやニーチェから学んだ、安部公房の洞察による「未分化の実存」という認識の別名です。

この同じ実存を、安部公房は安部スタジオの役者達に求めたのです。それが、人間本来の在り方であるからです。

しかし、今こうして世情を眺めると、確かに時代はニュートラルであると思います。

ニュートラルの状態とは、無意識にあっても(安部公房は意識的に実践しましたが)、外部と内部の果てしない交換の常態である状態、そのような世界です。

例を挙げると、

(1)女性のキャミソール:下着が外(公共の空間)に出て来た。そして、恥じない。
(2)女性の電車の中でのお化粧:家の中での振る舞いを外部(公共の空間)で行い、恥じない。
(3)その他にも、内が外に、外が内になる。恥じないことから、何かが起きている。
(4)左翼が右翼に、右翼が左翼になる:若松孝二が3.11後に三島由紀夫の映画を撮影するなど。
(5)若い女性が、日常で(女同士で)男言葉を使うこと。

まだまだ、他にも幾つも日常でニュートラルの状態から現れる現象をみることができるでしょう。

両極端が交換される。時代の変換期には、いつも、そうなる。内部と外部が交換される。

安部公房が生きていたら、何といったでしょうか。

大東亜戦争敗北後の、あの時期には、花田清輝が変換期とは言わずに、転形期といい、安部公房もこの言葉をエッセイの中で使用しております。

今も、70年前と同じに、歴史は繰り返し、変換期になり、転形期になっているのです。花田清輝の同名の著作を読むことも、よい時機であるのかも知れません。


2014年5月11日日曜日

もぐら通信の編集部員を募集します

2014/05/11
(編集部)

新たにもぐら通信の編集者を募集致します。募集の要領は、次の通りです。   

1。募集人員   
1名   

2。募集要件   
(1)安部公房が好きであること。
(2)編集方針を大切にして下さること(*)。   
(3)無給であることを承知下さる事(逆に毎月2000円程度の持ち出しになります)。
(4)無償の奉仕ができること。   

(*)【もぐら通信の編集方針】   
1.われらは安部公房ファンの参集と交歓の場を提供し、その手助けや下働きをすることを通して、そこに喜びを見出すものである。

2.われらは安部公房という人間とその思想およびその作品の意義と価値を広く知ってもらうように努め、その共有を喜びとするものである。

3.われらは安部公房に関する新しい知見の発見に努め、それを広く紹介し、その共有を喜びとするものである。   

4.われら自身が楽しんで、遊び心を以て、もぐら通信の編集及び発行を行うこととする。

3。編集部員の仕事
(1)校正、校閲、査読
(2)寄稿者とのコミュニケーション
(3)もぐら通信を印刷し、配付(メール便等)する業務(掛かった費用は後日、各編集者が均等な負担金額になるように精算をします)
(4)原稿の執筆
(5)その他のもぐら通信の編集と発行に関するすべての業務

4。募集対象者
(1)年齢:不問
(2)性別:不問
(3)人種:不問。日本語が充分にできれば人種を問いません。
(4)住所:国内海外を問わず。

5。要求される能力   
(1)PCのスキル:普通にPCが使えること。OSは不問とします。
(2)アプリケーションのスキル:ワード、エクセル、OpenOfficeの初級程度の操作   
(3)もぐら通信を印刷し、配付すること。
(4)編集部の資産とも言うべきDropbox中の書類群を閲覧し、処理する権限を賦与されますので、相応に注意深く、思慮あること、常識あることが求められます。
(5)企画ができれば尚よし、です。

6。応募先
(1)宛先:岩田
(2)電子メールアドレス:eiya.iwata@gmail.com
(3)件名欄に、「もぐら通信編集部員応募」とお書き下さい。

7。面接   
岩田(タクランケ)と岡(アレン)とでスカイプでの面接を行います。

8。締め切り
必要な方が採用され次第、締め切ります。

2014年5月10日土曜日

安部公房のアメリカ論2:ジーンズとは何か?


安部公房のアメリカ論2:ジーンズとは何か?

前回の記事で、ジーンズについては、何の贋物であるのか、一寸考えあぐねたところを、ここ数日思いを凝らしてみると、これがジーンズというアメリカ人の発明と、何故アメリカに広まり、また世界に広まったのかということがわかったように思うので、以下に述べてみます。

英語のWikipediaを参照しました。:http://en.wikipedia.org/wiki/Jeans

これによれば、19世紀後半のアメリカで、カルフォルニアのゴールドラッシュの時期に、正確には1873年にJacob DavisとLevis Straussにより発明されたとあります。

これを一着に及んだのは、カウボーイと鉱夫でした。この場合、後者は、一攫千金を夢見る金の発掘者ということになります。

さて、このジーンズをはくということは、前者、即ちカウボーイという、古代の聖書と神話の世界の羊飼いの贋物に脈絡が通じ、その聖性を享受できるということであり、後者、即ち、金の鉱夫になるということは、一攫千金のアメリカン•ドリームを体現することになるのだ。このふたつの形象(イメージ)の備わったズボン(近頃はパンツというようであるが)が、ジーンズである。

これは、アメリカ人に受けるだろう。それから、羊飼い、放牧、その自然の中にいる動物の管理者という形象を感じさせることと、またその飾らなさが、労働着が、従って既存のヨーロッパの確立した格式から逸脱し、これを否定し、同時に、一攫千金という個人の夢をそそるからである。この形象を、世界中の人間が、ジーンズをはいて、共有しているというわけである。

(続く)


今日(5月10日)の朝日新聞朝刊の綴じ込み別紙beに安部公房の特集が1面、2面に亘って掲載されています


今日(5月10日)の朝日新聞朝刊の綴じ込み別紙beに安部公房の特集が1面、2面に亘って掲載されていますので、お知らせします。

鈴木淑子さんという記者も、やはりかなりの安部公房読者であることが、その記事からわかります。

写真も、安部公房の取材した酒田市の郊外、浜中という砂地の集落の写真も載っています。

また、勅使河原宏がどのような考えで『砂の女』という映画を撮影したのかなど、興味深い文章が続いております。

お近くの最寄り駅のキオスク、或いはコンビニエンスストアなどでお買い求め下さい。






2014年5月5日月曜日

安部公房のアメリカ論:贋物(イミテーション)の国アメリカ



安部公房のアメリカ論:贋物(イミテーション)の国アメリカ

安部公房が晩年アメリカを論じたいとどこかで発言していて、もっと長生きをしていたら、必ずアメリカ論を書いていたことでしょう。このアメリカ論を読みたかったと思います。

しかし、今こうして考えていても、何故アメリカ論を書きたいと思ったのか、それから何故アメリカ論なのか、この理由を一言で言うことができることに気がつきました。

それは、アメリカが贋物の国だからです。二つの意味で。

即ち、国自体として贋物であり、またその国の作り出すものが贋物ばかりである国であるからです。贋物に溢れた国。

曰く、アメリカの都市と町という町、ラスベガス、ディズニーランド。また、アメリカという国が、どこかの国の、ということはどこにもない国の贋物、イミテーションです。その建国の最初は、インディアンを大量虐殺して、その歴史の上に成り立った国ですが、その前史を忘却し、その忘却の上に成立した全く新しい国家、という意味では、この地球上にあり、あったマルキシズムの共産主義と同じ考えの上に建てられた国家だということになります。それは、はい、何月何日にそれまでの世界とは全く別した、新しい国ができたのですというものの考え方において、共通しています。

こうしてみると、アメリカという国の民主主義という政体も、その思想も、贋物だということが言えます。そして、当然のことながら、ヨーロッパの世界の民主主義の贋物でもあるわけです。

さて、安部公房が生きていたらアメリカ論に入れて論じたものに、次のようなものがあるのではないかと想像します。

1。コカコーラ
2。ジーンズ
3。ハンバーガー
4。カウボーイ

これらも、例外無く贋物です。

わたしの考えでは、コカコーラというのは、ヨーロッパの世界にある神話的な泉の贋物です。ヨーロッパの中世の物語に出て来る泉は、そこには泉の精がいたり、怪奇な生き物が番をしていたりする、神聖な場所です。

コカコーラは、その意匠はアメリカという国らしく、知的財産権という法律的な名前で保護されている企業秘密であり、その製法は秘匿されて、つまり贋物の神聖性の上にあって、誰も近づくことができないという舞台設定になっています。その秘密の水を、アメリカ人たちは毎日飲んで、喉の飢えを癒しているわけです。ヨーロッパならば、中世の姿をした町の中に、今でもある尽きせぬ泉の水の贋物というわけです。

ジーンズは、一体何の贋物なのでしょうか?これも、アメリカの建国に関係があるでしょうが、一寸考えてみると、これは労働の贋物の着用なのかも知れません。労働しない状態の人間が一着に及んで、贋の労働を装ってみせるというわけです。しかし、このジーンズについては、もう少し考える必要がありそうです。安部公房の意見を聴きたいところです。

ハンバーガーは、ステーキの贋物。それも、手軽に食べられる贋物。ということは、またヨーロッパのサンドイッチの贋物ということになります。何よりも、そのHamburgerという名前からして、ドイツ人の食べ物の贋物なのです。

カウボーイは、ヨーロッパの世界の、聖書の古代にまで遡ることのできる、羊飼いの贋物です。この贋物も、やはりヨーロッパや中近東の世界の聖性の贋物ということになります。

話があちこちにゆくようですが、ディズニーランドは、デンマークのTivoliの贋物です。それは、実にディズニー的な空想の世界に換骨奪胎されておりますけれども、祖型は、Tivoliだと、わたしは思います。これは、近世の、ヨーロッパの白人種の博物館的な、百科全書的な収集の産物のひとつです。大きな敷地の中に、Chinese Garden, English Gardenといったように、様々な国のお庭があり、それぞれの建築物も建てられていて、また音楽も演奏されているなどして、実に楽しく時間を過ごし、場所を経験できるようになっています。これと同じものに、百貨店と日本人が翻訳した、Harrodsのような、department houseがあります。様々な世界中から輸入された商品を並べている様々なdepartmentsからなる店です。



ラスベガスに行けば、この砂漠の上に建てられた人造の町が、どのように子供じみた町であり、世界であるかを目の当たりにするでしょう。ラスベガスもディズニーランドも同根の町です。これらの町に典型的なように、アメリカの町はみな人造であり、人工の町です。日本の町のように、お城の周囲にできたとか、寺の前にできたとか、そういう意味では、人間の感情から自然にできたというような町ではありません。

ジャズという音楽も、これも、アメリカ人の奴隷貿易の忘却の上に成り立っている音楽だという意味では、建国の事情と軌を一にしています。つまり、アメリカ人(白人種)にとっては、贋物の音楽というわけです。

こう考えて見ると、安部公房が惹かれたのは、このアメリカという国の贋物性が、何か残酷な忘却の上になりたっているからではないかという仮説をたてることができます。

Baseballと呼ばれる、アメリカの国技ともいうべきスポーツもまた、同様な事情を、即ち忘却の上の神聖を表していて、そこに根差しているのではないでしょうか。(そして、アメリカ人の発明したスポーツで不思議なことは、アメリカンフットボールもそうですが、何故いつも攻める側と守る側という順序が規則正しく交替するのかということです。本来のフットボール、即ちサッカーは、そうではありません。攻守が絶えず流動的に入れ替わります。)

安部公房は、アメリカという国が贋物だから惹かれたのだという仮説を上のように敷衍をして、後日のための備忘と致します。


このようなことを、2014年の憲法記念日に想起するということもまた、深い意義と意味のあることでしょう。









もぐら通信第20号を発行しました。



もぐら通信第20号をお届け致します。

お読み戴ければ、幸いです。

次のURLよりダウンロード下さい。




今号の目玉は、大阪万博で上映された伝説の映画『1日240時間』を
復元された友田先生による「研究ノート」です。

好評を博した長与日記は、今号で最終回です。長与孝子様のご親族
及び関係者に厚くお礼申し上げます。

滝口さんからは、短文ながら強烈な印象の作品が届きました。

最後に、新編集部員の募集告知があります。興味のある方は、
お気軽にコンタクトをとってください。

ご感想などお聞かせ下さると、ありがたく思います。

また、ご寄稿も随時受け付けております。
お気軽に、ご連絡願います。

では、安部公房とのよいひとときをお過ごし下さい。

もぐら通信
編集部一同

2014年5月2日金曜日

安部公房の子供向けラジオドラマ


安部公房の子供向けラジオドラマ

安部公房は、次のような子供向けのラジオドラマを書いています。

1 キッチュ クッチュ ケッチュ       1957.6.3-21     (全集7)
 2 おばあさんは魔法使い             1958.1.2          (全集8)
 3 豚とこうもり傘とお化け            1958.12.31      (全集9)
 4 ひげの生えたパイプ                    1959.5.11-9.4  (全集10
 5 くぶりろんごすてなむい            1960.1.1           (全集11
 6 お化けの島                                  1960.12.25      (全集12
 7 時間しゅうぜんします                1962.1.2          (全集15 


これを見ますと、共産党員であった10年間の時代の後半の5年間に集中しているという特徴のあることがわかります。これには、やはり何か理由のあることでしょう。これは、追々考えて参りたいと思います。

安部公房全集第30巻の「放送目録」をみますと、最初のラジオドラマは、1954年3月の「人間を喰う神様」です。ということは、どうも、安部公房は1950年代の大体中頃からラジオドラマを書き始めたということになります。

この「放送目録」を打ち眺めますと、安部公房のラジオドラマは、次のようになっていることがわかります。

(1)新たにラジオドラマとして創作した作品
(2)自分の小説をもとに、それをラジオドラマにした作品

この2種類のラジオドラマがあります。

子供向けのラジオドラマは、前者になります。

安部公房は、子供向けラジオドラマをどのように考えていたのでしょうか。それのわかる言葉が、「放送目録」に次のように作者自身の言葉として言われています(全集第30巻、667ー668ページ)。これは、最初の子供向けラジオドラマ『キッチュ クッチュ ケッチュ』について語ったものです。

「大人の見た子どもの夢ではなくて、りくつぬきに楽しんでいただけるような、楽しい童話の国にお連れしたいとハリキっています。」

また、

「ブン子ちゃんは、学校でならったことをさっそく応用していみせるので、ドロボウさがしはこんがらがるばかり、世の中の仕組みを知らないからなんです。人間が成長していくのに、こうして世の中の仕組みを知っていくのは大切なことです。」

これらの言葉から、安部公房は、子供向けのラジオドラマを、童話だと考えていた事、またこの童話を通じて、読者である子供達に世の中の仕組みを知ってもらいたいと思っていたことがわかります。

安部公房は、童話という子供向けのお話について、ドナルド•キーン先生との対談『反劇的人間』の中で、後年、次の様な考えを述べています(全集第24巻、256ページ上段)。1973年、安部公房49歳。

「(略)ぼくがリヤ王だのオイディプースだのと言ったのは、忠兵衛(筆者註:近松門左衛門の『冥土の飛脚』の主人公)でもいいんだけれど、要するに平均値を尊重するというモラルと、同時に平均をはずれたものを造りだして、平均をはずれたものの悲劇を描くということによって、いまのみんなの置かれている平均的状況というものに、想像力のなかで窓を開けてやる、というか、抜け道をつくってやるということですね。
 これは高級な小説、文学だけじゃなく、お伽ばなしとか童話とか伝説とか、すべてにそういう要素があると思うのです。お伽ばなしとか伝説とかそういうものを含めて―これは必ずしも悲劇とは限らない。「桃太郎」でもいい―そういう日常生活の外に、あるプロットを設定することで、平均値を意識しないでいる場合はいいが、平均値を意識したとたんに、非常にそこには苦悩が、つまり恐ろしさみたいなものが生まれますね。それに窓を開けてやるという作用です。」

安部公房がここで使っている窓という言葉にいかなる意味を籠めて言っているのか、その深い意味は、既に『もぐら感覚5:窓』で論じましたので、もぐら通信第23号にてお読み下さるとありがたく思います。:http://goo.gl/6YoXiX

ここで言っていることは、平均値を大きく逸脱して、極端な話を造り、その平均値の生活から脱出する道を創造するということ、その脱出口が、窓であるという考えです。

窓という言葉については、既に安部公房は10代の『無名詩集』の時代から、この言葉を概念化し、その詩の中にも使って参りましたので、よく知っての言葉であり、従い、『キッチュ クッチュ ケッチュ』を書いた、この1957年、安部公房33歳のときにも、よく知った上で、この言葉を使っていることを覚えておくことにしましょう。

これが、子供向けの、安部公房のラジオドラマの考え方なのです。安部公房という作家が童話を書こうと思ったら、ラジオドラマになったというところが特殊、特徴のあることだということになります。それが何故なのかは、ひとつひとつの作品を読み解くことで、判るのではないかと思います。

そうして、子供達に世の中の仕組みを教えるとともに、そこからの脱出口である窓の所在を教えるということ。そのような童話になるのでしょう。

(続く)