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2013年9月23日月曜日

便所飯は安部公房の世界だ

便所飯という言葉あり、その言葉通りの世界があるというのは、面白い。

方舟さくら丸の世界である。

http://ddnavi.com/news/163621/?utm_source=ddnavi&utm_medium=rss

この便所飯の作法など、全く安部公房の世界に通うものがある。

http://dic.nicovideo.jp/a/便所飯

2013年9月19日木曜日

生物学者、福岡伸一さんによる『安部公房とわたし』のネット書評です。

わたしもファンである生物学者、福岡伸一さんによる『安部公房とわたし』のネット書評です。

バランスのよくとれた、このかたが職業としては文学の世界のひとではないのに、人間の男女の機微と、女性に関する洞察の深いことに驚きを覚えました。

次のURLです。

http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013091500006.html?ref=comtop_rnavi

2013年9月17日火曜日

鴻上尚史さんの『安部公房とわたし』についての書評です。:“特別な人”の存在が集団全体を動かしていく【鴻上尚史】


“特別な人”の存在が集団全体を動かしていく【鴻上尚史】



鴻上尚史さんの『安部公房とわたし』についての書評です。

演劇の現場を知るひととしての発言は、今までのネットの書評にはなく、出色です。

2013年9月16日月曜日

安部公房の読者への3つの本質的な質問



安部公房の読者への3つの本質的な質問


1。安部公房が何故三島由紀夫とあのように親しく、肝胆相照らす仲であったのだろうか?

2。位相幾何学を文学の中心に据えた安部公房が、敵対すると世間で思われる対象を拒否し、拒絶して、その位相幾何学的な世界の構築ができただろうか?

3。あなたは、『無名詩集』を編んだ安部公房のこころを、『無名詩集』を読んで、理解しようとしたことがあるか?



[岩田英哉]

安部公房の読者への3つの質問





安部公房の読者への3つの質問

1。安部公房が何故三島由紀夫とあのように親しく、肝胆相照らす仲であったのだろうか?

2。位相幾何学を文学の中心に据えた安部公房が、敵対すると世間で思われる対象を拒否し、拒絶して、その位相幾何学的な世界の構築ができただろうか?

3。あなたは、『無名詩集』を編んだ安部公房のこころを、『無名詩集』を読んで、理解しようとしたことがあるか?


[タクランケこと岩田英哉]

2013年9月11日水曜日

SUNDAY LIBRARY:梯 久美子・評『安部公房とわたし』『海辺の生と死』


『安部公房とわたし』に関するネット書評です。


SUNDAY LIBRARY:梯 久美子・評『安部公房とわたし』『海辺の生と死』2013年09月10日




http://mainichi.jp/feature/news/20130910org00m040011000c.html

2013年9月8日日曜日

幼少期過ごした東鷹栖に記念碑を 安部公房没後20年、地元の有志ら計画

東鷹栖安部公房の会の記念碑を建立するネット新聞の記事です。

『笑う月』に、催眠的な支配力を安部公房に及ぼした従兄弟、飯沢英彰さんの家の玄関前にある庭石を、当時安部公房が通学していた近文第一小学校の校庭に移して、記念碑とするものです。

この石は、当時小学生だった安部公房が上り下りして遊んだ石です。


http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/490336.html

2013年9月7日土曜日

石川淳について



石川淳について

丸谷才一の『思考のレッスン』(文春文庫)を読んでいると、石川淳に言及した個所が幾つかあり、その中の一つには安部公房の名前も登場するので、ここで紹介をして、安部公房が師と呼んだこの作家について、この作家がどういう作家であるのか、その知見を共有したいと思います。

1。石川淳と『曽我物語』(95~96ページ)
―レッスン1に、レトリックがない文明という話が出ましたが、それと関連しそうですね。

丸谷 そうそう。様式がある文学ならば、たとえいやなことを書いても、いやな感じの迫り方が違うわけ。ところが近代日本文学は様式がないから、生な不快感になっちゃうんだね。
 そういう生な言葉を避けようとして、石川淳さんは江戸に学んで、あの文体をつくったんでしょうね。
 淳さんのあの文体のことを、女の小説家が、長唄か清元の詞章みたいにずらずら続いて行くと評したそうだけれど、これは森鴎外『そめちがへ』の弟分みたいなあの文章の、うまい形容であるだけじゃなくて、出所をかなり言いあてていますね。そして長唄や清元のかなり川上のところにはたぶん『曽我物語』がありそうな気がします。いつか僕が『曽我物語』を読んでいますと言ったら、
「文章がいいでしょう」
 と一言だけだったけれど弾んだ返事が返ってきたことがありました。石川淳と『曽我物語』というのはいい主題だと思いますよ。

2。石川淳と「一冊の本」(114ページ)
石川淳さんが朝日新聞から「一冊の本」という題のコラムに原稿を依頼されたことがある。その書き出しがたしか、「本来なら一冊の本といふことはあり得ない」という文章でした。たくさんの本の中にあって初めて、一冊の本は意味があるのだ、というようなことを書いてらした。

 僕は、その通りだと思うんですね。孤立した一冊の本ではなく、「本の世界」というものと向かい合う、その中に入る。本との付き合いは、これが大切なんです。

3。石川淳とホーム•グラウンド(143ページ)
 石川淳さんの場合には、江戸がホーム•グラウンドと言えるでしょうね。もちろんこれにフランス文学が加わります。つまり石川さんという人は、西洋の文学を読んだ目で江戸を見ていた。その体験がすべてにわたってものを言うんですね。
 石川さんは「パリに出かける金がないから江戸へ遊学した」なんて言ってますが、あれは生半可な勉強じゃないですね。硬いものも軟らかいものも、よく読んでます。荻生徂徠、本居宣長、蜀山人はもちろんですが、平田篤胤も一通り目を通してました。僕が、為永春水は『梅ごよみ』だけ読みましたと言ったら、「あとを引かなかった?」とけげんそうにしてた。つまり、『辰巳園』(たつみその)も『梅見船』も『英対暖語』(えいたいだんご)もと、続けて読まないのが不思議なんでしょうね。でもね……(笑)

 以前、中村真一郎さんが、「石川淳さんは江戸の漢詩をよく読んでるし、その感想がいちいちツボを外れない」と感心してたけど、その通りなんだろうと思います。

 その石川さんが最晩年、こんなことをおっしゃった。「このあいだ小説で江戸を書こうと思って、江戸にいて何を自分が知っているか考えてみたら、驚いたことに、何も知らないということがわかった」とね。

4。石川淳と忠臣蔵(185~186ページ)
 もう一つ例をあげます。忠臣蔵論。
 僕は忠臣蔵が御霊信仰だということは、前々から考えていました。一九八〇年に石川淳さんと対談したときも、そのことを話したことがあります。そのときは、石川さんから「うん。あれも御霊信仰だといえば御霊信仰だな」と、名人に青二才が軽くいなされるような結果になった。ああいう返事をされると、その先は続かなくなっちゃう(笑)。

5。石川淳と推敲(228ページ)
 たとえば石川淳さんは、推敲ということを絶対にしないらしいね。石川さんが安部公房さんと一緒にロシアを旅行したとき、向うの作家と三人で話をしたんだそうです。ロシアの作家が、自分はいかに念入りに文章を推敲するかということを長々としゃべったら、淳さんが「それはいけない、私は推敲なんかしない。書き終わったら書きっぱなしである」と言ったんだって(笑)。
 安部さんからその話を聞いてびっくりしてね、僕は石川さんに聞いてみたんです。
「どうすればそういうことができるんですか」
 そうしたら石川さんは、
「それはゆっくりゆっくり書くんだよ」
とおっしゃった。

―石川さんの文章は、ものすごいスピードで書いているような印象がありましたけど、意外ですね。

丸谷 石川さんについては、いつだったか奥様からこんな話をうかがったことがあります。
「石川も最近は年をとってくたびれてきて、一回書斎にこもると二時間ぐらいしか持ちません」
 二時間持つなんてすごい、とびっくりしてね(笑)。晩年で二時間だから、以前はもっと長かったに違いない。すごい集中力だなあ(笑)。
 

2013年9月3日火曜日

『密会』の時間の構造(話法について)



『密会』の時間の構造(話法について)

安部公房が10代から、言語の話法について興味を深く持っていたことは、その10代の論文『問題下降に依る肯定の批判』や20歳のときの『詩と詩人(意識と無意識)』によってよくわかります。

安部公房が1977年、53歳のときの作品『密会』を読んで考えたことを備忘のように書く事にします。

この小説の形式は、時間という観点からは、実に単純に出来ていて、それは、得体の知れない馬(病院の副医院長)から受け取る録音テープを再生する自分の時間と、その録音テープに録音された時間の後に起きている(見かけ上)現在(というべき)録音テープを文字に起こす時間のふたつの時間から成り立っています。

そうして、録音された時間を再生する主人公の意識の在る時間は、現在の小説の地の文の時間の在る場所とは異なり、見かけ上過去の時間から現在の地の文の中の時間を眺めるようになっています。

他方、現在の地の文の時間は、その地の文の中に(一見過去の時間と見える)過去の録音の記録の時間を持っているわけですから、現在の時間から過去の時間を眺めるようになっています。そうして、この過去の時間の中には、実は現在の時間に生きている主人公の感想の言葉も混じっているので、明瞭には過去と現在というようには時間を区切ることができない構造になっています。

ひとことで言い換えると、過去から見た現在の時間と、現在から見た過去の時間が、地の文の中の( )によって(この( )の中には過去の録音テープの音声に関する主人公の感想が入っている)、交換されていて、あるいは時間を捨象されて、幾何学的に交換されていて、過去は現在(或いは未来)、未来は過去(或いは現在)という状態になっているのです。

この現在にいるのが、いつも話者です。そうして、この話者がどこに存在しているのか?というのが、安部公房の、特に『箱男』以降の小説の根本的な問いになります。

他方、この問いには、既に安部公房は10代で答え、1948年(24歳)のときに出版した『終りし道の標べに』で既に答えているのだとわたしは考えています。


そのことに関する直裁な答えは、『密会』の( )の中の独白と、地の文の中の言葉とが、言わば、内部と外部の関係で、交代し、交換される関係にあるということなのです。

さて、この論は、もう少し後日に結論を持ち越すとして、『密会』の話です。

この小説の最後に、丁度戯曲『友達』がそうであるように、最後に『明日の新聞』が登場します。

この新聞は、安部公房の思考の中心にある、以上言及した時間の構造の、即ち構造という以上は、時間を捨象した、小説の構造の空間の骨組みなのです。

『明日の新聞』が今日発行されるのです。このこころ慰められる、優しい残酷な世界。

安部公房は、演劇論をいうときにも、これを時間の空間化と呼んでおります。

何故安部公房はそう考えるのか?これは、10代に耽読し、耽溺したリルケの世界を読む以外にはない、それを日本人の10代の少年がどのように命がけで自分のものとしたか、即ちそのリルケの思想を生きたかということを知ること以外にはないのです。わたしはそう思います。

どうか、あなたもリルケをお読み下さい。安部公房の読者として。