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2013年1月31日木曜日

マルテの手記9:病院




マルテの手記9:病院


安部公房は、その小説の中の舞台として、病院を設定する小説を幾つか書いております。

今、想い出すままに、挙げますと、

1。密会
2。カンガルー•ノート

ほかにも、まだあるのではないでしょうか。

もし病院ばかりではなく、医者の登場人物を挙げるということになれば、これらふたつの作品のみならず、芥川賞を受賞した「壁」に出て来るユルバン教授も、挙げることができるでしょう。

去年発見された未発表作品「天使」も舞台が精神病院と喧伝されておりますが、しかし、作品には病院という言葉は全く出て来ません。やはり、これは主人公が認識している正六面体の内部と外部の話なのです。

さて、マルテの手記にも、医者と病院が出て来ます。以下、望月訳で引用します。前回のハープと笛の、直ぐ次の行です。


「 医者は僕の話が少しもわからなかった。すこしも。わかるように話すことは困難であった。医者は電気療法を試みようと言った。よかろう。僕はカードをもらった。午後一時にサルペトリエール病院へ来るようにと申しわたされた。僕はそこへ行った。(略)」


上の引用の「カード」と訳してある原文も、切符というモチーフのところで書いた言葉、即ちdie Karte、カルテですので、ここにも、切符、乗車券、乗船券というモチーフは関連して、響いているのです。

このあと、病院の中へ入り、待合室に並ぶ人間達の素描が続き、医者とその弟子たちとマルテの会話が続きます。

そうして、マルテは、一般外来での受付をされたことから、自分は何も特別な人間ではなく、改めて、この病院にいる患者達、即ち「敗残者」に属する人間だという自覚を持つのです。「敗残者」と訳されたドイツ語は、die Fortgewrofenene、直訳すれた、絶えず(何者かによって)投げ捨てられている者達という意味です。

この敗残者、絶えず投げ捨てられている者は、実は乞食とは違います。少し順序が前後して、前の方に戻りますが、次のような箇所があります。私の訳で引用します。


「しかし、わたしは、自分の髭の手入れを放ったらかしにしていいという権利は持っているわけではない。多くの忙しい人々(ビジネスマン、商人たち)は、そうする権利があるが、しかし、だからといって、その人間達を敗残者の中に数え入れるというようなことは、誰も思いつかないだろう。というのも、それは(病院の患者達は)、敗残者たちなのであって、乞食ではないということが、わたしには明らかだからだで、ひとは(このふたつを)区別しなければならないのだ。」


『箱男』の中に、箱男は乞食とは違っている。乞食はまだ社会の底辺に属する人間であるが、箱男は、それ以外であり、社会の外にいる存在だということを主人公が考える場面がありました。

さて、そして、マルテの幼年期の回想で、熱が出て家で寝込み、自分の恐怖の対象であった「大きなもの」を想い出す。当時も医者は、「大きなもの」を理解できず、治療もできなかった。今また、そうであるのです。

この「大きなもの」に対する不安は、『箱男』の中にも出て来ました。それは、『箱男』の中に挿入されている写真のうち、自動車交通用の凸面の鏡に映った歪んだ家についている短い説明書きです。それは、次のような言葉です。


「小さなものを見つめていると、生きていてもいいと思う。
 雨のしずく……濡れてちぢんだ革の手袋……
 大きすぎるものを眺めていると、死んでしまいたくなる。
 国会議事堂とか、世界地図だとか。」


さて、この辺りから始まるマルテの言葉のキーワードは、不安です。この不安の正体が何なのか、これからの何処かの箇所で、明らかになることでしょう。



[追記]
この記事を読んだMian Xiaolinさんからコメントがあり、その他病院の出て来る小説に、『R62号の発明』でロボットが作られた場所(脳外科手術をしてR62号を作る場所)、『飢餓同盟』に出てくる診療所、『箱男』に出てくる病院と医者と看護婦が出て来るという指摘がありましたので、ここの補足として追記するものです。なるほど、その通りでした。


(この稿続く)


[岩田英哉]

【もぐら通信】第5号をお届けします



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もぐら通信第5号をお届け致します。
お読み戴ければ、幸いです。

特に、今号は表紙に大ニュースが2件載っていますので、
お楽しみになさって下さい。

ご感想などお聞かせ下さると、ありがたく思います。
では、安部公房とのよいひとときをお過ごし下さい。

もぐら通信
編集部一同


2013年1月30日水曜日

マルテの手記8:笛



マルテの手記8:笛


マルテの手記に初めて出て来る笛を引用します。

安部公房の初期の詩集に、笛という言葉が出て来ます。その笛との関係は直接あるようには、見えませんが、安部公房が詩を歌うためのモチーフとして、マルテの手記の笛に習ったということがあるかも知れないと思いますので、ここに備忘のために残すものです。


「わたしの内蔵は、煮えたぎって、やもうとはしない。みじめな時が、私におそいかかった……私のハープはなげきの声となった。私の笛は号泣となった。」


「私のハープはなげきの声となった。私の笛は号泣となった。」とある、このところは、わたしがハープであって、そのわたしが嘆き声をあげ、わたしが笛であって、わたしという笛が号泣するように読まれます。


他方、安部公房の「無名詩集」の「其の四」と題した詩は、次のような詩です。



「白樺の枝二つ三つ
 手折りて童(わらべ)
 笛を作りぬ

 遥かなる想ひの如く
 しのびよる夕と風に
 その心 重かりき

 その故か その心
 あまた憧れの音(ね)にみちたれど
 笛は鳴らざる
 風よりもなほ微かにて」



これと類似の詩が、最近発見された未発表作品「天使」には、歌われています。

これらの詩についての、詳細な論考は、岩井枝利香さんが、もぐら通信(第4号)に「私論 安部公房「天使」と題して論じていますので、その論考をご覧下さい。ダウンロードは、次のURLアドレスから:http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html

この詩の笛は、白樺の枝からつくられています。初期の詩には、幾つかの詩で、白樺が出て参りますが、もしマルテの手記にこの木のことが、もし出て来たら、そこで取り上げたいと思います。


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月28日月曜日

メール不達のお知らせ(第5号)

本日、もぐら通信第5号を送信しましたが、メールサーバーから
返送されました。

お心当たりの方は、今一度
1.メールアドレスが正しいことの確認
2.メールボックスの空き容量が充分であることの確認
3.他のメールアドレスでの登録
などの対策を取って頂けますでしょうか?

 該当者のメールアドレスのドメインは
hotmail.co.jp
jcom.home.ne.jp
です。

以上よろしくお願いします。

マルテの手記7:内部と外部の交換



マルテの手記7:内部と外部の交換

マルテは、前回の廃墟となった、崩壊した家を見た後で、その恐怖心からすっかり疲れてしまい、その後もパリの町の中を彷徨して様々なものをみて、更に一掃疲れ果てるのです。そうして、内部と外部の交換を、生理的な感覚とともに経験します。望月訳です。

「たぶんなにもが動かなくて、僕と人々との頭のなかがぐるぐるまわっていて、そのためにすべてがぐるぐるまわるように感じられたのだろう。僕はそれについて考えている余裕はなかった。びっしょりと汗をかいて、血のなかになにかひどく大きな塊がはいりこんで、それが血管を押しひろげながら移動しているかのように、しびれるような痛みが全身をまわっていた。そして、空気がさっきからなくなって、吐き出した空気を再び吸い込み、肺がそれを受けつけないのを感じた。」


安部公房の作品すべて、一生涯に書いた詩にも論文にも小説にも劇作にもエッセイにも、それらに共通することをひとつ挙げよと言われたら、わたしは躊躇することなく、この、内部と外部の交換と、その生理的な感覚を真っ先に挙げることでしょう。

この箇所以外にも、内部と外部の交換は、まだまだ出て来ますが、まづは最初の箇所の言及に留めます。



(この稿続く)


[岩田英哉]

本日1月28日関西版の毎日新聞夕刊に、もぐら通信の記事が掲載




只今東京の毎日新聞社より電話があり、本日1月28日関西版の毎日新聞夕刊に、もぐら通信の記事が、東京版と同じ内容で掲載されるとのことです。

読者の方で、関西の方は、駅のKioskなどでお買い求めなさり、お読み戴ければ、ありがたく思います。


[岩田英哉]

2013年1月27日日曜日

メール不達のお知らせ

先日、購読登録された方にお知らせです。
当方からメールを何度か送信しましたが、その度にメールサーバーから
返送されてしまいます。
原因は不明ですが、 今一度
1.メールアドレスが正しいことの確認
2.他のメールアドレスでの登録
 などの対策を取って頂けますでしょうか?

 該当者の情報は、以下の通りです。

ーーー引用開始ーーー
送信日時:2013/01/25 12:29:37

----- メールアドレス -----
hotmail.co.jp
----- 通信欄 -----
毎日新聞の記事で知りました。
安部公房ファンのコミュニティがあるのを知りとても嬉しい限りで
す。
ーーー引用終了ーーー

以上よろしくお願いします。。

もぐら通信第5号(1月)の目次が決まりましたので、お知らせ致します。


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以下、第5号の目次です。


1。表紙記事
(1)大江健三郎さんが岩波書店「図書」の「親密な手紙」の中でもぐら通信をとりあげてくれたこと。
(2)毎日新聞掲載記事のこと。
(3)『(霊媒の話より)題未定―安部公房初期短編集―』の発売のこと。


2。お知らせ(2ページ目)
(1)関西安部公房オフ会
(2)TAPの読書会

3。3ページ目以降

(1)加藤弘一:『壁』の手前
(2)吉田稔美:三木富雄と「他人の顔」映画セット作品によせて
(3)池田龍雄:「詩的発明家ー安部公房」と「懐かしの安部公房」
(4)marmotbaby:安部公房の写真
(5)宮西忠正:安部公房の「窓」
(6)岩本知恵:「闖入者」論
(7)OKADA HIROSHI:「長屋談義」
(8)w1allen:文献検索術
(9)トクメイ デカK:「アベ・コーボーのインボウ」
(10)岩田英哉:国立近代美術館「美術にぶるっ!」展を観て
(11)Mian Xiaolin:贋岩田英哉氏の「20歳の安部公房」を読んで
(12)タクランケ:もぐら感覚7:透明感覚
(13)岩田英哉:安部公房の変形能力3:ニーチェ
(14)贋岩田英哉:安部公房の詩を読む
(15)読者感想:吉田稔美様の感想
(16)合評会
(17)主な献呈送付先
(18)バックナンバー
(19)編集方針
(20)編集者短信
(21)編集後記
(22)次号予告

マルテの手記7:壁


マルテの手記7:壁

安部公房の有名な小説のひとつに『壁』という小説、芥川賞をとった小説があります。

マルテの手記に、まさしく安部公房がこの小説で描いた考え方を叙述した壁の話です。

10代の安部公房は、リルケがここで何を言っているのかを正確に読み取り、自分のものとしたことが解ります。

望月訳で引用します。


「 あのような家があると話しても信じる者があるだろうか。いや、だれも僕のつくり話だと考えるだろう。(略)あれは、家といえたろうか。厳密に言えば、もう謦咳をとどめなくなった家であった。上から下まで取りこわされてしまった家であった。残っていたのは、隣接している別の家、隣りの高い建物であった。その建物も、隣りの家がすっかり取りこわされたために、今にも倒壊しそうであった。タールを塗った長い何本もの柱を組み合わせたものが、取りこわされた家の地面から裸にされた隣家の壁へ斜めにかわれていた。僕はさっきから言っているのがこの壁であることをもう書いたかおぼえていない。しかし、それは残っている建物のいわば最初の壁ではなくて(略)、取りこわされた建物の最後の壁である。僕はその壁の内側を見たのであった。取りこわされた建物の各階の壁を見た。(略)ここかしこに床や天井の形骸が残っていた。各部屋の壁にそってうすぎたない白い溝が、壁全体の上から下まで走りおりてていて、その白い溝の中を便所の錆びた鉄管がいいようのない不潔な感じで、いわば蠕動(ぜんどう)する腸のようにぐんにゃりとあらわにうねりおりていた。(略)しかし、なによりも印象を与えたものは、各部屋の壁であった。各部屋で送られた強靭な生活が壁へしみこみ、踏まれても蹴られても生き続けていた。(略)最後の壁を残して、ほかの壁がみんな取りこわされていたことを僕は書いただろうか―僕が話しているのは、残っている最後の壁のことである。だれもが僕がその壁の前に長く立っていたように思うだろう。しかし、誓って言うが、僕はその壁を見わけたとたんに踵をめぐらして駆け出していた。その壁を見わけたということは恐ろしいことであった。[僕はこういったことすべてを認識するのだ。]だからそれは容易に僕の心へはいりこむのだ。僕の心に巣くっているからなのだ。」


[註][ ]の箇所はわたしの訳に代えたもの。わたしの訳は、直訳です。望月訳では、「僕はこの都会で見る恐ろしいものをどれもいつか前に見たことがあるのだ。」となっている。しかし、マルテが認識している「こういったことすべて」とは、明らかに、この壊された家の壁をみて感じ、思い描いたそこに生活していた人々や物事が壁に沁み込んで臭って離れない強烈な痕跡のことを言っています。上の引用で(略)としたところには、その雑多な生活のことの描写が列挙されるように続くのです。


この引用でリルケの書いた事、いやマルテの書いたこと、マルテのしたことは、廃墟を見て、想像の中にそこで営まれていた生活を再現することである。そして、建物と中の生きた人間を思い描いて認識するのに壁を認識することに至り、人間の生活の内外を知る事は、即ち、認識とは境界を認識することだと考えていることである。

これも、そのまま、安部公房である。

ここに書かれているモチーフは、廃墟ではなく、壁ということになる。

そして、恐怖の感情が伴うこと、その感情が自分の中にあること。正確には、感情ではなく、das Schreckliche、ダス•シュレックリッヒェ、驚くべきもの、である。(この「驚くべきもの」という言い方も全くリルケ流の言い方である。これの流儀の翻訳調は、安部公房の「終りし道の標べに」にも見る事ができます。)

この認識は大切。何故ならば、前に出て来たモチーフ、第三者(媒介者)の排除の場合と同様に、物事の本質は関係(壁)にあるという思想が、ここに語られているからだ。

こうして読んで来ると、一見体裁は、手記であり、スケッチ、素描であるが、マルテの考えようとしていることは、どのモチーフを表裏の関係にあり、相互連関ができていることがわかる。

蛇足ではあるが、この壁と一緒に、安部公房の好きな便所という対象も出て来るのは、興味深い。ここで便所を抽象化すれば、内部と外部がむき出しになり、壁(関係)の存在を認識することによって、物事の全体が露になったときに、便所もまたそこにある、ということになるだろうか。

芥川賞をとった『壁』にも、便所が出て来て、その廻りを箒で掃く、老人ほうき隊が登場します。

そういえば、『方舟さくら丸』の最後に、もぐらという名前の主人公が便器に足を吸い込まれて、身動きできなる場面があります。そのところでも、やはり「ほうき隊」が登場します。

壁(関係)ー内と外ー便所ー老人箒隊、というのは、いつも一緒に出て来るようです。

便器もまた、外部への脱出口なのでしょうか。


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月25日金曜日

マルテの手記6:切符



マルテの手記6:方舟さくら丸の切符

マルテは、パリにいて、図書館を訪ねます。

このとき、図書館の大きなホール、大広間の空間の中で、つぎのようなことを空想するのです。望月訳です。


「これは、二週間前のことであった。しかし、このごろではそういう人間にあわない日がほとんど一日もない。日暮れどきばかりではなく、白昼の雑踏した街上でも、小さな男か老婆がフィに現れて、僕にうなずいて見せ、なにかを示し、それで役目が終わったかのように姿を消してしまうのである。今に僕の部屋まで押しかけて来ることを思いつくだろう。僕がどこに住んでいるかももう知っているにちがいない。門番にとがめられずに通ることぐらいは朝飯前だろう。しかし、君たち、僕がこの図書館にいるかぎり僕は君たちにつかまる心配はない。ここへはいるには特定の入場券が必要なのだ。君たちが持っていいないその入場券を、僕は持っているのだ。僕は街路をお察しのとおりいくぶんびくびくしながら歩いて、ついにあるガラス戸の前へ来て、家へ帰ったようにその扉をあけて、つぎのドアの前で入場券を示し(君たちが鉛筆や針を見せるのと同じようにではあるが、僕の気持ちがすぐに相手にも通じ、僕の意思がすぐにわかってもられる点だけがちがう―)、そして僕はこの本にとりかこまれ、あの世の人間のように君阿たちの手にとどかなくなり、安心してすわって詩人の作品を読んでいる。

 君たちは詩人がなんであるかを知らないだろう。(略)」


上に引用した大部のところは、ドイツ語でいう接続法II式、英語でいう非現実話法でかかれてて、マルテという主人公の、現実ではない、願いとしての空間を想像しているのです。

その空間に出入りするための切符をマルテは持っている。この前後の文脈から言えば、それは詩人だけが出入りできる特別の空間のための切符であり、入場券だということになります。

そうして、安部公房が概念化した詩人とは、「詩と詩人(意識と無意識)」(20歳の論文)に書いたように、己をむなしうして転身をし、次元変換をする無名の人間像でした。

ですから、そのような人間のための切符として、方舟さくら丸では、あの石切り場の空間への出入りの切符があるのです。


この切符というモチーフも、安部公房はリルケに学んだに違いありません。


[註]

「詩と詩人(意識と無意識)」については、もぐら通信のバックナンバーで、「18歳、19歳、20歳の安部公房」の記事をお読み下さい。ダウンロードは次のURLアドレスから:http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月24日木曜日

マルテの手記5:擬似家族


マルテの手記5:擬似家族

マルテは子供時代に、家族と不思議な生活を送ります。マルテが12歳か13歳のころの話です。

しかし、それは実際家族ではなく、擬似的な家族ともいうべき家族です。旅する擬似家族です。

そうして、この作品の題名に手記とあるように、そうしてドイツ語の本来の意味ではスケッチ、素描というのがその手記と訳された言葉のドイツ語の本来の意味なのですが、その意味にふさわしく、いつからそのような奇妙な生活が始まったのかが書かれていません。

この連載の第1回目に言及しましたが、この作品の冒頭が、意識の流れの途中から始まるわけですが、それと同様に、またスケッチという体裁から言っても、ここでも、エピソードの始まりは読者に提示されることはなく、言わば宙に浮いた素描として読まれることになります。

10代の安部公房は、この始めも終わりもない、何か無限の時間の中に浮遊しているような素描に、その奇妙な話の数々に、そうして、手記と訳されているように、誰かに向かって報告されるその文体と形式に、憧れ、惹かれたのです。

(そうして、その中で生全体の構造を見抜こうとするマルテの思考と姿勢に。構造を見抜くとは、時間を捨象するということと同じことです。)

これは、相当なまでに、後年の安部公房の小説の特色を言い当てています。

さて、奇妙な大人達との生活の話です。マルテは父親に連れられて、祖父のお城へ行きます。その理由も語られることはありません。望月市恵訳で以下で。

「祖父は食卓の人々を家族と呼び、みんなも自分たちをそう呼んでいたが、この呼び方は全く根拠がなかった。食卓を囲む四人は遠い縁戚通しではあったが、家族といえる間柄では全然なかった。」

家族と呼ばれているが、家族という実体のないひとの集まり。そうして、実際に城の構造としても、ひとりひとりの部屋が分離していることが、語られています。


この城の中で、マルテは、5人の人間達と一緒に、生活をします。その名前を挙げると、

1。祖父
2。伯父、ブラーへ伯
3。マティルデ•ブラーヘ嬢
4。ある親戚の女の小さな息子、エーリック
5。少佐

それから、この城には、クリスティーネ•ブラーへという女性も一緒に住んでいますが、その叙述を読むと、この女性は幽霊か亡霊のように見える。気も狂っている様に思われる。大広間での晩餐の席に、とあるドアから入って来ては、沈黙のままに通り過ぎ、また別のドアに消えて行くのである。

3度目に、このクリスティーネ•ブラーへという女性が姿を晩餐の席に現したときに、マルテとマルテの父親は、旅に出るのです。これも、故郷に戻ったのかどうかはわからない、旅に出た、出発したとだけ短く記されています。

安部公房の描く家族は、擬似家族といってよいものです。小説の「闖入者」や、これを劇に仕立て直した「友達」は勿論のこと、その他の小説にでも、同様の家族の取扱いが行われています。

それは、何故でしょうか?

物事を本質的に考えるために、そして特に世間や社会が大切だと思っていること、信じ込んでいることの、その物事を否定する姿を仮定し、仮説してみるという思考と態度を徹底的に貫けば、そのようなことになるのだと、わたしは思います。(エドガー•アラン•ポーの座標軸として、もぐら通信第4号で「安部公房の変形能力2:エドガー•アラン•ポー」で論じた通りです。)

安部公房の精神は徹底しており、そのことにおいて、苛烈です。この苛烈さは、他のふたつの座標軸、即ちニーチェとリルケから学んだことです。

この苛烈さが、人間と社会の弱点を露にする寸鉄ひとを刺す言葉となるのは、ニーチェから、同じことが、美しい言葉となるのは、リルケから、それぞれ学んだのです。


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月23日水曜日

マルテの手記4:第三者(媒介者)の排除



マルテの手記4:第三者(媒介者)の排除


前回の存在象徴と安部公房が呼んだ創作の方法と態度の記述の後で、マルテは、第三者について述べています。

マルテが今まで書いた自分の詩も詩とは呼び難く、詩ではないといい、劇も書いたがこれも駄目なもので、その理由が、ふたりの登場人物を創作するとして、そのふたりの意思疎通のために第三者を必要として、そのような人間を登場させたことが愚かなことであり、失敗の原因だっと言っています。以下、望月市恵さんの訳で引用します。


「(略)僕は劇を書くにあたってなという誤りをおかしたことだろう。苦悩を与え合う二人の運命を語るために、もう一人の人間を登場させなければならなかった僕は、愚かな模倣者にすぎなかったのだろうか。僕はなんとたあいなく陥穽に落ちたのだろう。僕は、あらゆる生活と文学とに登場するこの第三者、現実には決して存在しなかった亡霊のような第三者は、なんの意味も持たない人間であって、それを黙殺しなくてはならないことを知らなくてはならなかった。この三人目の人間は、僕たちの注意を人生の最も深い秘密からそらそうとしてやまない自然の術策の一つである。進行中の真の「ドラマ」をおおいかくす屏風である。(略)(この第三者が)たとえば悪魔にさらわれてしまったとしたら?そういう場合も仮定してみようではないか。そしたら、だれも作りごとでかためられた劇場のむなしさに不意に気づき、劇場は危険な穴のようにふさがれ、仕切桟敷のクッションから衣蛾が飛び立ち、がらんとしたむなしい場内を力なく舞うのみになるだろう。劇作家は郊外の高級住宅に住んではいられなくなるだろう。すべての公けの諜報機関が動員され、劇作家のために遠く世界のすみずみまで、劇の動きそのものを意味した掛けがえのない三人目の人物が捜索されるだろう。

 しかも二人は僕たちの近くに生きているのである、(三人目の人物ではなくて)問題の二人は。この二人は僕たちの近くで苦しみ、生き、絶望していて、かれらについては話さなくてはならないことが驚くほど多くあるが、きょうまでにはほとんどなにも語られていない。」


わたしたちは、第三者がいなければ意思疎通ができません。この第三者がいて、社会的な生活がなりたっております。これを媒介者とか、媒体といっても同じです。

マルテの言う「あらゆる生活と文学とに登場するこの第三者、現実には決して存在しなかった亡霊のような第三者」という形容は、正鵠をしております。

わたちたちは、その亡霊のような実体のない機能と役割を日々演じて、第三者として生活をもしているのです。このことを、あなたにも想い出してもらいたい。

しかし、他面、これは社会の役に立つ人間であるということの真の意味でもあるのです。即ち、あなたが媒介者、媒体になるということが。

マルテがここで言っていることは、言語と人間にとって本質的な事を言っています。

いつも他者と意思疎通をし得るのは、相手と、共通の何か(第三者、媒体)を共有しているからです。それゆえに、誰それさんを知っているというだけで、わたしたちはお互いに理解し合ったように勘違いをする。何故か親しくなるのです。

さて、人間としての第三者ばかりではなく、わたしたちが何かを知ったり、理解したりするときには、例外無く第三者、媒介者、媒体を持つ事無く、知り、理解することがありません。

人間は物事の本質を直に、直接知る事はできないということです。

文法的に言えば、わたしたの言語は、必ず述語部を持っているということが、これに相当します。あなたは、第三者、媒介、媒体をっ述語部におくことなく、一行の文も生成することができない。相手に自分の意志を伝えることができない。

このように考える人間、第三者を排除しようとする人間は、当然のことながら、役立たずの人間ということになるでしょう。

また、このような人間は、物事の本質を、第三者や媒体を通じて間接的にではなく、直接的に、直に知りたい、直かに対象に触れたいと願っている人間なのです。

そのような人間の一人である、28歳の若者マルテは、当然のことながら、自分自身を、上の引用に続いて直ちに、次のように点描する以外にはありません。これは、このままリルケの自画像であり、同時に安部公房の自画像でもあります。無名の人間。無名無能の人間像です。


「おかしなことである。僕はこの小さな部屋にすわって、今年二十八歳になるが、だれもこのブリッゲ青年の存在を知らないのだ。僕はこうして生きているが、存在しないも同然である。しかし、この虫けらのような人間は、パリの灰色の午後、安アパートの五階の部屋で考えることを始めて、こんなように考える―」

そして、実に鋭い嗅覚を以て、リルケは、そのような無役、無能、無名の人間が、社会との関係では、社会の中に住む人々の意識の底、無意識の世界では、危険な人間であると感じられていることを、次のように、第三者の不在の場合として記述するのです。

これは、リルケの心理を裏返しに、第三者に仮託して語ったものであり、これはまた同時にそのまま、安部公房の主人公達の意識と心理の逆説的な説明になっていることにご注意下さい。即ち、そのような無役、無能、無名の人間が、社会の諜報機関から捜索され、スパイされるという現実的な可能性を、リルケはここで書いているのです。

「すべての公けの諜報機関が動員され、劇作家のために遠く世界のすみずみまで、劇の動きそのものを意味した掛けがえのない三人目の人物が捜索されるだろう。」


[註]

箱男脱稿後の講演をYouTubeで聴く事ができますので、お聴き下さい。この中の最後の方で、安部公房は、自分はあなたと直接関係を結びたいのだ、第三者を排除して、あなたと直接理解をし合いたいのだと強く、言葉を大きくして、言うところとがあります。他のひとの芝居は見てくれるな、僕の芝居だけを見てもらいたいのだ、と。

箱男は、1973年の刊行。安部公房、49歳のときです。リルケのマルテの手記が如何に、安部公房に深く根を降ろしているか、お解りになる筈です。


[註2]
この主題が、そのまま、何故安部公房の一連の小説が、いつも手記の体裁をとるのか、報告体の体裁をとるのかの、主要な理由のひとつになっています。

(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月22日火曜日

安部公房の命日(没後20年)に寄せて



安部公房の命日(没後20年)に寄せて


頭木さんが、ブログに安部公房の今日のこの命日に記事を書いていらしたので(http://ameblo.jp/kafka-kashiragi/entry-11454380708.html)、わたしも倣って、個人的な、安部公房との思い出を、三題噺のようにして書いてみようと思いました。

1。安部公房と言葉を交わしたこと
わたしは当時学生で、三田文学の編集部に出入りをしておりました。

この編集部は、当時新宿紀伊国屋の4階にありました。わたしは大学の一年生でした。

1973年に、その編集部の前で、ドアの錠がかかっていて閉まっており、中に入ることができなかったので、ひとを待ちながら、所在なげに、ドアの前で立っていると、右手の方から小柄な男性が、右手に鞄を下げて、確か左手はズボンのポケットに入れて、通りかかり、立ち止まって、編集部のドアのガラス窓にはってある三色旗の上の三田文学という文字を眺めて、ああ、ここが三田文学ですかといったので、わたしもこれは編集部へのお客さんかと勘違いをし、ええ、今閉まっているのですが、もう少しするとひとが来ると思いますということを言うと、一寸立ち止まって眺めたあと、向きを変えて歩き始め、左手にあった階段を降りて行きました。

そのときは、気がつきませんでしたが、後になって想い出しました。それが安部公房でした。

振り返ってみれば、1973年当時は、安部スタジオを立ち上げ、初期の公演を紀伊国屋劇場でおこなっていたのではないかと思います。

楽屋からやって来た安部公房に出合うとは。

このことは、わたくしのいい思い出となっております。


2。井の花

安部公房は自動車が好きで、千川の自宅から多摩の地域をあちこちと車を走らせて、ドライブをしていたことは、あるエッセイで書いています。(全集第19巻、236ページにある「多摩丘陵のドライブ」の237ページ下段左端の3行をご覧下さい。)

このエッセイの中に、井の花の交差点を通る話が出て来ます

その書き方から言って、よく通った交差点なのでしょう。

わたしは、時期はずっと後ですが、5年程、その交差点のところに住んでいたことがあります。

最寄り駅は、小田急線の鶴川駅でした。駅前の、渋谷から延びて来ている世田谷道を真っ直ぐに走ると1キロほどのところにある四叉路が、井の花と呼ばれる交差点なのです。

ここの道は、源頼朝が進軍して馬を進め、井の花の先を一寸行って右折をし、鎌倉街道に入って北上する、その手前にあるのでした。


3。日大永山病院
安部公房は、20年前の今日、日大永山病院で亡くなりました。

この病院は、わたしもよく通って、お世話になった病院でした。
小田急線の永山駅の直ぐ傍にあります。

翌日新聞で安部公房の死を知り、そしてわたしも知っている病院でしたので、亡くなったとはいえ、何か、安部公房が傍にいるという感じを持ったことを昨日のように想い出します。


[岩田英哉]

マルテの手記3:存在象徴


マルテの手記3:存在象徴

10代の安部公房が概念化をし、10代の書簡の中に何度か言及され、そうして「終りし道の標べに」の中で盛んに使っている哲学用語に、存在象徴という言葉があります。


「終りし道の標べに」を読みますと、それがどのような概念の言葉であるかは、明白なのですが、同じ概念を、リルケの「マルテの手記」の中に発見したので、後日の備忘として、ここに残すものとします。以下、「マルテの手記」から、望月市恵さんの訳から、転載します。

安部公房が10代で読んだ「マルテの手記」が、こんなに深い影響を安部公房に与えていたとは。全く無駄のないリルケの言葉です。

これを、10代の安部公房は真っ正直に、そのまま受容して、実践したのです。以下の引用の後半が、存在象徴という用語の概念なのです。そうして、これがそのまま、安部公房の創作方法なのです。


「(略)詩も書いた。ああ、若くて詩をつくっても、立派な詩はつくれない。詩をつくることを何年も待ち、長い年月、もしかしたら翁になるまで、深みと香とをたくわえて、最後にようなく十行の立派な詩を書くというようにすべきであろう。詩は一般に信じられているように、感情ではないからである。(感情はどうんなに若くても持つことができよう。)しかし、詩は感情ではなくて―経験である。(略)

 しかし、思い出を持つだけでは十分ではない。思い出が多くなったら、それを忘れることができなければならない。再び思いでがよみがえるまで気長に静かに待つ辛抱がなくてはならない。思い出だけでは十分ではないからである。思い出が僕たちの中で血となり、眼差しとなり、表情となり、名前を失い、僕たちと区別がなくなったときに、恵まれたまれな瞬間に、一行の詩の最初の言葉が思い出のなかに燦然と現れ浮かび上がるのである。」


上に引用したふたつの部分の間に、略したところに、マルテの数々の経験が具体的に書かれています。

ここに書かれていることは、10代の安部公房の、そして20代以降に花の咲いた小説家としての安部公房の創作の方法論(理論)であり、同時に創作の態度(実践)そのものです。

以下に、この創作の行為をプロセス(工程)として分解すると、次のようになります。

1。多くの経験をする。
2。それらの経験を一度忘却する。
3。忘却された経験が再び自分自身のところに戻って来るのを待つ。
4。3の期間は、経験した思い出が、自分自身の「血となり、眼差しとなり、表情となり、名前を失い、僕たちと区別がなくな」るための時間である。この時間が必要なのだ。
5。そして、最後に、「恵まれた瞬間に、一行の詩の最初の言葉が思い出のなかに燦然と現れ浮かび上がる」。

10代の安部公房は、このプロセスと、それから生まれる思い出の形象を、象徴として捉えて、存在の象徴と呼び、その統一を存在象徴の統一と言ったのです。



[註]
望月市恵さんの訳では、上の引用の後段の「再び思いでがよみがえるまで気長に静かに待つ辛抱がなくてはならない。」とある「再び思いでがよみがえる」というところは、ドイツ語の原文では動詞がwiederkommenという動詞なのです。望月市恵さんは、その一行のこころを訳したのです。

しかし、この動詞の本義、直義を云えば、再び戻って来るという意味なのです。従い、ここは、複数の思い出が再び戻って来る、帰ってくるという意味なのです。

即ち、一度忘却した過去の経験が、時間の経過の後に、その人間の内側に立ち現れて、同じ姿なのか別の変容した姿であるのか、いづれにせよ、そのような記憶と経験の現れを、安部公房は象徴と呼んだのです。そうして、それは無意識の世界からやって来るものであるが故に、存在の象徴と呼び、その統一を創作の目的としたのです。

この創造の行為を、数学的な徹底した思考の末に、10代では、次元変換と呼び(「詩と詩人(意識と無意識)」また転身若しくは身がへ(「無名詩集」)と呼んだのです。

そうして、ニーチェとの関係では、概念から生への没落と呼んだのです。


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月21日月曜日

もぐら通信、毎日新聞に掲載される



もぐら通信、毎日新聞に掲載される


もぐら通信が、毎日新聞のウエッブ版に掲載されました。

以下のURLアドレスにアクセスして下さい。



また、紙の媒体の本紙には、21日の夕刊に掲載されます。もし最寄り駅のKioskで読めるのであれば、お買い求め下さると、うれしく思います。


編集方針にあります通りに、みなさんのために、下働きに徹して、よりよき誌面を構成して参りたいと思ます。

あなたのご寄稿、ご投稿を切にお待ち致します。

追伸:
先ほどこの記事を投稿したときに、22日の夕刊と書きましたが、本日21日の夕刊に掲載がされたとのことです。訂正を致しますとともに、ご迷惑を掛けた方にはお詫び申し上げます。

追伸2:
月刊もぐら通信の予約購読は、このブログの画面右上のところからなさって下さい。また、過去のバックナンバーは、次のURLアドレスからダウンロードすることができます。

http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html


[岩田英哉]

2013年1月20日日曜日

マルテの手記2:父親


マルテの手記2:父親

マルテの手記の最初の数ページを読み進めて、やはり、この作品は安部公房に強烈な印象と影響を与えたのだなと思うところにまた至りました。

それは、マルテの祖父を書いたところです。このグロテスクなまでの祖父の像は、孫が描いた祖父親像とは言えない位に、デフォルメされ、即ち誇張と歪曲と戯画化がなされています。

これは、祖父とはいえ、やはり、リルケ自身と父親の関係に関するリルケ自身の抱いている形象(イメージ)なのではないかと思いました。たとえ、どのように仮構しても。そうして、その形象を抽象化して、自分自身の経験を離れようとしても、やはりそうして至った父親像は、普通に考える父親像とは、相当違ったものになっています。

リルケと父親との関係で、安部公房を論ずるときのキーワードは、ふたつあります。

1。贋の父親
2。放蕩息子

このふたつです。

前者については、後々の小説で、贋の父親が登場します。その萌芽は、既に10代の小説にもありますが、最初に登場するのは、芥川賞をもらった「壁」ではないかと思います。

後者については、23歳のときに書いた「様々な光を巡って」(全集第1巻、202ページ上段)の冒頭に言及されています。

この作品の冒頭によれば、放蕩息子とは、「絶えず脱皮し逃亡し、復た復帰しながら」歴史を生きるものです。様々な光を巡って。

この放蕩息子は、安部公房の数あるモチーフのひとつですが、これはまた稿を改めて論じたいと思います。

以下、このマルテの祖父がどのような男であるかを引用します。これは、確かに言葉の藝によって、成り立っている祖父像、いや父親像であると思います。そうして、父親は死と直結しているのです。

父親が死と直結しているという考えそのものは、平凡なものです。いつも、どの時代でも、どの民族でも、そのように無意識に、その関係が理解され、社会に受け容れられてきたのではないでしょうか。それは、父親の死と共同体の関係における死についての理解であり、受容です。さて、そうだとして、リルケによる父親の死についての文章です。以下、わたしの好きなドイツ語の翻訳者、望月市恵さんの訳です。


「 その死には、古いが屋敷もせますぎて、側翼を建て増さなくてはならないようであった。侍従官のからだは大きくなる一方であった。そして、彼はたえず一つの部屋からほかの部屋へと運ばせ、夜になる前に、その日まだ寝なかった部屋が残らなくなると、いきり立った。そして、召使いと小間使いといつも身辺から離したことのない犬とをぞろぞろと従え、階段を運び上げさせ、家扶の先導で、祖父の亡き母親が息をひきとった部屋へ運びこませた。どの部屋は、母親が二十三年前に亡くなったときのままで残されていて、常はだれも足を踏み入れることを許されなかった。そこへ一団はどっと闖入したのであった。(略)
 なぜこういうことになったのか、なぜいつもは立ち入りを厳禁されていた部屋が、こうして荒らされるようになったかを聞きたい者があったら - それは死のせいであったと答えるほかはない。
 ウルスゴールのクリストフ•デトレフ•ブリッゲ侍従官の死であった。彼は侍従官の紺青色の制服からはみ出そうにふくれて、床のまん中に動かずに寝ていた。だれにも見わけがつかないほどに面変わりをしたよそよそしい大きな顔は、目をとじて合わせていた。まわりのすべてに無関心であった。初め人々は彼を寝台へ寝かせようとしたが、彼はそれを肯んじなかった。(略)
 敷物の上に寝かされて、もう死んでしまったとも見えた。(略)
 しかし、それでもまだ生きている部分があった。声がまだ生きていた ― 五十日ほど前にはだれも知らなかったような声が。それは侍従官の声ではなかった。その声の主は、クリストフ•デトレフではなく、クリストフ•デトレフの死であった。(略)
 夜が来て、不寝番でない召使いたちが疲れきった体をベッドにっ横たえて眠ろうとすると、きまってクリストフ•デトレフの死はわめき始めた。。わめき、うめき、いつまでもうなりつづけ、犬は始めたそれに和してほえたが、ついには黙って、寝るのをこわがり、細い長いあしをふるわせながら立って、おびえていた。夏のデンマークの銀色に光る広漠とした夜、クリストフの死がうめくのを聞いて、村人たちは嵐がおそって来たように起き上がり、着物を着て、無言でランプのまわりに集まり、聞こえなくなるのを待った。


リルケは、このようなグロテスクな、村人に恐怖を与える死を、その世俗の地位に在った権力者にふさわしい、その人間の、暴君らしい個性のある死として、上に引用した以上に、他のところでも描いております。


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月18日金曜日

もぐら通信、毎日新聞社の取材を受ける



もぐら通信、毎日新聞社の取材を受ける


1月17日に、もぐら通信は、毎日新聞社の取材を受けました。


22日の毎日新聞に掲載されるとのことです。もし最寄り駅のKioskで読めるのであれば、お買い求め下さると、うれしく思います。

MacBook Airに映るもぐら通信の表紙を前に、わたしも一緒に撮影されました。

今年は、新年早々に、もぐらの飛躍の歳になるでしょうか。

みなさんのために、よき誌面を構成して参りたいと思う事頻りです。



[岩田英哉]

2013年1月15日火曜日

もぐら通信第4号合評会開催

もぐら通信第4号の合評会を始めました。

忌憚のないご意見を書き込んで下さい。

次の掲示板です。

http://textream.yahoo.co.jp/message/1000004/0bit8xkbc

2013年1月10日木曜日

マルテの手記1



マルテの手記1

年末年始を北海道に戻って過ごし、のんびりとしながらも、我がMacbook Airを持参して、もぐら通信の連載「安部公房の変形能力3:ニーチェ」の原稿を、ほぼ書き上げました。

そうして、次はリルケということで、今日からマルテの手記を読み始めました。

マルテの手記は、インゼル出版というドイツの出版社のペーパーバックスを20代のころから持っていて、いつも手元にあったのですが、いわゆる積ん読くでありました。

今安部公房との関係で読む事になろうとは、思ってもおりませんでした。しかも、電子書籍リーダー、Kindle Fire HDで読んでいるのです。

「安部公房の変形能力4:リルケ」は、間違いなく一回では終わらずに、連載ということになるでしょう。それほど、安部公房とリルケについては、書く事が多くあります。

あと2ヶ月ほどありますので、その間、折に触れ、読んで知ったことを、安部公房の広場に書いて、あなたと知識を共有したいと思います。

そうして、共有しながら、どうやったら安部公房とリルケの関係を一番よく伝えることができるのかを考えて参りたいと思います。

マルテの手記を、読んでみるとわかりますが、開巻即、最初の3行の文に、既にこの作品の主題が書かれているのではないかと思いました。

最初の3行を、今わたしの言葉でドイツ語から訳すと、次のようになります。

「という次第で、だから、人々は生きるために、ここへとやって来るのだが、わたしがむしろ思うには、ここでは死ぬのだ。わたしは、終わってしまった人間である。わたしは(次の物事を)見たのだ:」

と言って、コロンの次に、マルテが見た光景の叙述が続きます。

この3行の文から以下にこのリルケの描くマルテの思考の特徴を挙げます。

1。「という次第で、」と訳したように、この書き出しの前の段から意識は続いている。即ち、始まりのない始まりとなっていること。そうであれば、最後に至って、終わりのない終わりということになるのであろうか。

2。「わたしは終わってしまった人間である。」と訳したこの一行は非常に多義的で奥が深い一行なのです。この一行からの解釈は、次の様なことがあるでしょう。
(1)わたしには、もう未来という時間はないのだ。
(2)わたしは、局外者、アウトサイダーだ。
(3)わたしは、生きるためにいる人々を外側からみる人間なのだ。
(4)ということから、わたしのいる場所は死者の場所だ。
(5)「ここでは死ぬのだ。」と訳したところは、主語が非人称の主語で、敢えてその主語を具体的に言えば、死ぬのは人間、もの、こと、この3つだということになるでしょう。
(6)終わってしまった人間と訳したausseinという動詞の過去分詞形の意味のひとつに、aufと名詞の4格をとって、何かを求めて、探索中であるという意味もあること。確かに、マルテは、地図を持って、この街を冒頭から探索している。
(7)独白体であること。
(8)手記名前で呼ばれ得る形式であること。

このように列挙してみて、この8つのそれぞれの項目に、安部公房に通じるものがあります。


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月7日月曜日

「(霊媒の話より)題未定: 安部公房初期短編集」が今月発売

 先日発表された「天使」を含む初期作品群が、単行本「(霊媒の話より)題未定: 安部公房初期短編集」として新潮社から2013122日(安部公房の命日、没後20年になります)に発売されます。価格は、1680円です。

 収録作品は、収録順(執筆順でもあります)に
題未定(霊媒の話より)
老村長の死
天使
第一の手紙~第四の手紙
白い蛾
悪魔ドゥベモオ
憎悪
タブー
虚妄
鴉沼
キンドル氏とねこ
の11作品となっています。

「天使」以外は、安部公房全集001-002に含まれる作品です。安部公房が作家「安部公房」に変身していく過程を観察するのに最適な一冊になると思われます。全集をお持ちの方もお持ちでない方も読まれてみてはいかがでしょうか?
なお、加藤弘一氏による記事が「もぐら通信」第5号に掲載されます。

2013年1月1日火曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
昨年は、「もぐら通信」を発行し、4号まで刊行することが出来ました。
ひとえに、温かい寄稿者の皆様とご支援いただいている読者の皆様のお蔭です。
本年も「もぐら通信」のご愛顧の方よろしくお願いします。

もぐら通信編集部一同
平成二十五年元旦

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