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2012年12月16日日曜日

白い蛾







安部公房の23歳のときの短編に「白い蛾」という短編があります。全集第1巻、212ページです。

この話は、人間の真実を安部公房の言葉で語った掌編です。

これは白蛾丸という名前の小さな客船の船長の語る話として語られます。

この船長は自分の船室に迷い込んで、そこに活けてある白い薔薇の花に止まっている白い蛾に非常にこころ惹かれて、その蛾を、その蛾の死んだ後に標本として木箱に入れ、大切に保管しています。

この客船の客になった語り手の質問に、この白い蛾についての話を船長は語るという体裁をとって、話は進行します。

そうして、誠に安部公房らしいのは、語り手の話の中で白い蛾の話を語る船長が、更に話中話、即ち話の中で更にもう一つの話を語る、それも船長の考えた、白い蛾についての虚構の話を語るという重層的な物語の体裁に仕立てていることです。

そうして、船長にとっては実際にこの白い蛾に出あったことも、そうしてそのような物語を創造したことも、自分の荒々しい性格が温厚な性格に変わってしまうという重要な契機なのですが、それ以上にこの話中話で語られる船長の話が一層重要な意味を、この船長の所有する船の名前、白蛾丸という名前の由来として、持っているのです。

それは、このような話中話です。


「或る海岸につき出た岬の、丘のふもとにある虫の世界」に、他の虫類のように保護色の無い、白い色の蛾の一族が隠れて暮らしています。この一族は、「蝶や、蜂や小鳥等の、昼の光に包まれた華やかな情景」の世界に住むのではなく、反対に闇の中に、昼間の「裡面に小さく閉じ込められた蛾の一族」なのです。

そうして、虫や小鳥たちからの迫害を受けて、逃亡の生活に一族は入ります。その中の一匹が、「絶望的な気持ちでふと遠く向うの方を見ると、港に停泊している船の中で一そう目立って白い船が在る」のをみつけ、その船、つまり船長の白い船の中へとやって来るという、このような船長の夢想の話です。

これは、この船長が拵えた、この蛾がその船室に来て、白い薔薇にとまって離れないこの蛾のそれまでの人生の話です。

そのような物語を与えられた白い蛾は、薔薇の花びらが一枚一枚と次第に落ちて行くにもかかわらず、その花に留まり続け、とうとう最後の一枚の落葉とともに地面に落ちて死んでしまいます。そうして、船長はその蛾を標本にするのです。

そうして、この話の話者、即ち客船の客は、次の港で船を降りて、沖合に出て行く白蛾丸という船を眺め、それが船長の人生に重なるあの白い蛾と同じであることを感じ、白蛾丸が見えなくなるまで見送るところで、話が終わっています。

この掌編の、安部公房らしい特徴を挙げれば、次のようになるでしょう。

1。その世界の生き物とは姿が異なるが故に、迫害され、圧迫され、場所を追われる異端の主人公(白い蛾)の話であること。
2。話の中に、更に話しのある構造になっているということ。
3。変態、擬態、更に言えば変身のモチーフ、テーマであること。
4。3を更に言い換えれば、如何に隠れるかという主人公の意識の問題でもあること。
5。対話形式、即ちドラマ(劇)があること。
6。1000トンの船という、限られた狭い空間の中の話であること。
7。登場人物(船長)の現実を、虚構の話と接続することによって、その現実に深い意味を与えることができているということ。

また、8番目の特徴として、次のようなこの話の話者、船長へインタビューする主人公のものの考え方、ものの見方を挙げることができます。こうしてみると、この話には、主人公が3名いることになります。即ち、話者、船長、そして白い蛾の三つの主人公です。

従い、この掌編小説の構造は、以下のようになるでしょう。この構造も、実に安部公房らしい。

船中の空間>話者と船長のいる船長室>船長の語る白い蛾の話

そうして、そのような船中の空間(=白蛾丸)を外から眺める場所として、港という接続の場所が最後に来るということ。これが9番目の特徴と言えることでしょう。そうして、そこが同時に、別れの場所であることが。

さて、順序が前後しましたが、8番目の特徴です。

「普通つまらないとか大人気ないとか言われている事が、案外目に見えない所で人生の大きな役割を占め、時には主題にさえなっているものです。目に見えているものは、その奥に在る大きな塊りの様々な性質を、ばらばらに示している仮の宿で、影の様なものだと言うのが私の意見です。」


[岩田英哉]

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