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2012年11月7日水曜日

安部公房の未発表作「天使」を読んでの感想: Essay just after I have read Kobo Abe's unpublihsed work, "Angel"



安部公房の未発表作「天使」を読んでの感想

今日文藝月刊誌新潮誌上で、安部公房が22歳のときに書いた「天使」という短編が未発表の作品として発表されました。

ここで発表した「天使」論を「『天使』を読み解く」と題して、一冊のキンドル本に編集し直し、上梓しましたので、これをお読み下さると、誠にありがたく思います。

http://www.amazon.co.jp/安部公房論『天使』を読み解く-ebook/dp/B00BHK74H4/ref=sr_1_9?ie=UTF8&qid=1361335125&sr=8-9


さて、最後の場面に立ち至って、主人公の天使は、この天使の国も自分の棲むべき世界ではなく、その外の世界のことを知ろうと、その天使の国の窓へと歩むところで、小説は終わっています。

この窓という、外界の次元と接続する場所というモチーフは、小学生のころからカンガルーノートの晩年に至るまで、安部公房が深く大切にし、徹底的に概念化をした重要な形象のひとつです。

この窓辺へ主人公の天使が行くところでは、そうしてカンガルーノートと同様に、詩が歌われています。この詩は必然的にこの場所におかれなければならなかったものなのです。安部公房は窓辺で詩作をするのです。

この安部公房の窓については、今月号、第3号のもぐら通信に「もぐら感覚5:窓」と題して論じる予定です。もぐら通信のバックナンバーのダウンロードは、次のところです。

http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html

是非、お読み戴ければと思います。


[岩田英哉]



2 件のコメント:

  1.  岩田さん、
     初めまして、Hatena Blogでブログを書かせてもらっております、かもめ日報というものです。

     自分のブログの宣伝のようになってしまい大変恐縮なのですが、Googleで「安部公房 天使」で検索するとかなり上位に上がっておられた記事で、なおかつ「安部公房の広場」という恐らく安部公房氏に、また文学にかなり精通しておられる方かと思いコメントさせていただきました。
     今回コメントさせていただいた件、もしかしたら文学とは少し異なる視点からの質問になるのかもしれませんが、下記当方ブログ記事にあるように、安部公房さんは「天使」を作品として世に出すつもりは無かったのではないかと思いました。

    安部公房の「天使」を読みながら思ったこと
    http://kamomenippo.hatenablog.com/entry/2012/12/09/084911

     この点について岩田さんはどう思われますでしょうか。

     お時間があるときにでもかまいませんので御返答いただければ幸いです。
     それではよろしくお願いいたします。

    返信削除
  2. かもめ日報さん、

    こんにちは、

    メールをありがとうございます。

    おっしゃっていることは、当たっているのではないかと思います。

    10代の安部公房は詩を専らとしておりました。それから、言語とは
    何かという問いに思考を集中させていましたし、また宇宙の構造と
    自分自身のあり方、生き方について死力を尽くして考え抜く生活を
    しておりました。

    これは、安部公房全集の第1巻を読むと、よくわかります。

    安部公房の最初の世にでた小説は「終りし道の標べに」(1947年、
    23歳)ですが、これを書いたのも、本人の意識としては小説では
    なかったのです。それは、言語と人間の意識と存在(人間と宇宙の在り方)に
    関する思索の記録として書いたのでした。それが結果として安部公房は
    藝術上のどんな範疇に分類されるものかは一切頓着しておりませんでした。

    このような安部公房ですから、22歳に書いたというこの「天使」においても
    同じ意識のありかたであったことと思います。

    安部公房のこころは、書かなければ生きては行けないので、言語を以てして
    書くのだというこころなのです。(全集第1巻、188ページ。友人宛書簡)

    そのこころで書いた結果が、それが小説であり、劇作であり、批評である
    というのが、終生変わらぬ安部公房の生活の在り方です。

    全集第1巻、270ページに初めて「長ヘン小説、「没落」に着手している。」と
    あり、このときには少なくとも小説を書くという意識はあったことがわかります。
    安部公房23歳、1947年75日の上の同じ友人宛の書簡です。

    この「没落」という長編小説とは、その歳に完成した終りし道の標べに」の
    ことではないかと推測されます。しかし、この小説も、後年自分では、いわゆる
    小説を書いたというつもりではなかっといっております。この作品のときに、
    初めてひとにみてもらおうとして、高校の恩師阿部六郎のところへ持って行った
    といういきさつがあります。このときに、初めて発表を意識したのだと
    思います。

    かもめ日報さんが、作品の発表するという意識を疑ったことは、まったく
    安部公房の、この当時の創作意識の在り方に触れていて、その通りだと思います。

    安部公房の広場に書いた、わたしの感想文を契機に、このような交流が生まれて、
    誠にありがたく思います。

    今後とも、よろしくお願い致します。

    岩田英哉拝

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