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2012年10月8日月曜日

「終わし道の標べに」を読む3:2つの故郷について




「終わし道の標べに」を読む3:2つの故郷について

第1のノートの始めの方で、この手記の語り手は、故郷には次のふたつがあるといっている。

1。「ひとつは、われわれの誕生を用意してくれた故郷であり、」
2。「今ひとつは、いわば<かく在る>ことの拠(よ)り処(どころ)のようなものだ。」

前者は、普通にこの世に生を受けたときの、何々県、何々町、何々村という古里であり、後者は、「<かく在る>ことの」故郷である。

既に前回の稿で述べたように、この後者の故郷とは、「かく在ること」(das Dasein、ダス•ダーザイン)の故郷であるので、それは、存在、das Sein、ダス•ザインのことである。

埴谷雄高は、この存在に挑む異母兄弟という主人公達を創造したが、他方、安部公房は、この手記を読むと、「人間は生まれ故郷を去ることは出来る。しかし無関係になることはできない。存在の故郷についても同じことだ。だからこそ私は、逃げ水のように、夢幻に去りつづけようとしたのである。」とあるように、存在という二つ目の故郷から永遠に逃れて行く、遁走する主人公を創造したということになる。

そうして、興味深いことは、主人公が、逃げ水のような遁走の決心をするや否や、次のような事態が出来するということである。

「だが突然おそろしい勢いで一切が崩れ去る。ちょうどあの粘土塀に凍りついた外気のように……。その霧の中に、幅も奥行きもない、己を覗きこむ影が静かに浮び出て……人間が在るように在るという、蜘蛛の糸の謎をひろげる。そのように<<私も在る>>のだという銘をのなかに、私の苦悩を眠り込ませようとして……。」

この引用は、安部公房が10代から20代の始めに書き溜めて、23歳のときに「無名詩集」と題してつくった自家板の詩集の中の次の詩篇を連想させる。

倦怠

蜘蛛よ
心の様にお前の全身が輝く時
夢は無形の中に網を張る
おゝ死の綾織よ
涯しない巣ごもりの中でお前は幻覚する
渇して湖辺(うみべ)に走る一群のけだものを


蜘蛛がこの網の主人公となっている。この詩を読むと、この倦怠という題のもとに歌われた蜘蛛とは、ほとんどその後の安部公房の小説の主人公の意識であるかのように見える。

現存在、Das Dasein、かく在ることを拒否し、そうして同時に(同時とは一体何だろうか)、存在、Das Seinからも逃亡するときに生まれるこの崩壊を、この手記の冒頭では、粘土塀に表象させ、形象させ、象徴させているのだ。

これは、単に言葉の綾などというものではなく、このような散文を読んでも、また詩文を読んでも、実際に安部公房の経験した現実であると思われる。即ち、譬喩(ひゆ)ではないのだ。

夢を語って、そのままそれが現実になっているというこの能力が、安部公房の能力である。


(この稿続く)


[岩田英哉]

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