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2012年9月25日火曜日

安部公房の願った読者との関係はどんな関係であったのか?


安部公房の願った読者との関係はどんな関係であったのか?

箱男を脱稿したあとに行った、安部公房の講演を、YouTubeで聴くことができる。

これを聴くと、わたしの劇しか観ないで欲しい、わたしの劇以外の劇は観ないで欲しい、そういう観客であって欲しいと強い口調で言っているところがあります。

これは、大人からみると、非常に子供っぽい感情の表白です。大人ならば、だれでも、現実の関係とは、そういうものではく、関係の濃いひともいれば、薄いひともいて、好き嫌いを問わず、様々な人間たちと交際しなければならず、またそのような交際、交流を前提にして生活をしています。そうして、垂直方向の、また水平方向の、そのような関係の中で約束をまもることを道徳と呼んでいるわけです。

しかし、安部公房は違います。わたしとあなた、俺とお前の関係で、そういう関係を築きたいし、維持したいのだと言っているのです。俺のいうことだけを聴いてくれる友人が欲しい。

何と言う一方的な要求であり、願いであることでしょう。

安部公房の10代の友人、金山時夫という友人、「終わりし道の標べに」の扉のエピグラムに名前の書かれているこの友人は、安部公房にとって、そのような友人であったのだと思います。

安部公房全集の第1巻の「贋月報」に当時を回顧している児玉久雄という方の言葉では、「彼(安部公房)にとって故郷って何だったのか、金山って何だったのか、これが僕にとってわからない。その三年間しか空白がなかったのに。金山のことは、僕は安倍を通しては知っているんです。安倍と会うときは、金山と一緒に会っているから。金山はいつも安倍の後ろにいた。黙って立っていた。僕は、むらむらっとしたのを覚えています。嫉妬を覚えたんです。」と語っている。

この証言をみて解る通り、金山時夫は、

1。安部公房が社会(他者)と向き合うときにいつも安部公房の前にではなく、後ろに控えていた人物なのです。それも、二人の関係に第三者が嫉妬を覚えるような関係。金山時夫とは、そのような友人であった。つまり、

2。安部公房の幼い感情、しかし純粋な感情を理解していた、俺の言うことを聴いてくれ、俺の言う事だけを聴いてくれ、他の人間の言う事なぞ聴かないでくれ、俺の世界を理解してくれという少年安部公房の欲求に答えることのできた唯一の友達だったのだと思います。

3。そのような関係であったから、金山時夫はいつも安部公房の前にではなく、後ろに立っていたのです。そうして、安部公房の友人に嫉妬心さえ起こせしめた。

これは、安部公房が、読者と自分の関係を1:1で、作品という媒介(メディア)を通して構築したいと願っていたことを意味しています。

そのための形式が手記という形式でした。この手記という形式を、安部公房は「終わりし道の標べに」以降、頻度高く使うことをしています。

何故、そのように手記という形式を愛用したかは、以前の記事「「終わりし道の標べに」(安部公房)を読む:第1のノート 終わりし道の標(しる)べに」(http://sanbunraku.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html)に書きましたので、それを参照戴ければと思います。

いづれにせよ、安部公房が読者と築きたかった関係は、ネットワークの類型(分類)でゆくと、スター型のネットワークです。

これは、安部公房のすべての主人公の意識の姿、他者との間に求める関係の姿だと言って良いでしょう。図に描くと、このようになります。ご興味のあるかたは、ダウンロードなさって下さい。


10代の安部公房の詩では、網を張る蜘蛛に詩人を擬している詩がありますが、そのような蜘蛛の巣のイメージに、スター型のネットワークはとてもよく似ていることがお解りでしょう。(「安部公房の詩を読む2」(http://shibunraku.blogspot.jp/2010/03/2.html)を参照下さい。)

思考の問題としては、安部公房ほど、多視点、多次元で物事を考えることのできる人間はいないだろうと思われるほどなのに、いざ生きた人間として、自分自身と生身の読者の関係を考えるときには、そのような1:1の、あるいは1:Nの、スター型のネットワークの関係を求めた作家だということが言えると思います。


〔岩田英哉〕

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